【ピアノ】左手作品の歴史:誕生から現代までを年表でたどる完全ガイド

【ピアノ】左手作品の歴史:誕生から現代までを年表でたどる完全ガイド

► はじめに

 

左手のためのピアノ作品の歴史をさかのぼると、その起点は18世紀にまで届き、19世紀を通じて少しずつ形式や表現の幅を広げ、20世紀に入ると本格的な発展を遂げたことが見えてきます。

本記事は、そんな左手ピアノ音楽の歩みを年代順に整理した総合ガイドです。「左手作品」を中心に、そこから発展した片手・3手の音楽まで含めて、その歴史をたどります。

当サイトではこれまで、個々の作曲家や作品を掘り下げた記事を数多く公開してきました。このページはそれらへの入り口として、全体の流れをつかんでいただくためのハブ記事という位置づけになります。気になる作曲家や作品が出てきたら、リンク先の個別記事もあわせてご覧ください。

 

► 左手(片手)ピアノ音楽史の年表

 

「左手作品」を中心に、右手・左手どちらでも演奏できる片手作品など、左手音楽史と関わりの深い作品・演奏家も取り上げます。

 

年代 出来事
1770年以前 C.P.E.バッハ「右手あるいは左手のための小品」成立(現存する最初期の片手作品)
1820年頃 ベルガー「12の練習曲 Op.12 第9曲」(左手のために書かれた最初期の出版作品)
1831年 カルクブレンナー「左手のための4声のフーガ」出版(左手のための最初期のフーガ)
1843年 ドライショク、パリで左手演奏によりセンセーションを巻き起こす
1844年頃 マルクスゼン、左手作品2曲を作曲
1851〜1856年頃 フマガッリ、左手のためのオペラ・トランスクリプション群を発表
1852年 ブラームス、J.S.バッハ「シャコンヌ」左手編曲を発表
1883年 ジチー、「シャコンヌ」左手編曲を出版
1884年 ライネッケ「左手のためのピアノソナタ Op.179」出版(左手のための最初期のソナタ)
1887年 ジチー「左手のためのピアノソナタ」出版(初期の左手ソナタ)
1894年 スクリャービン「左手のための2つの小品 Op.9」を作曲
1894〜1914年 ゴドフスキー「ショパンのエチュードによる練習曲」左手独奏版 全22曲 を順次出版
1895年 ジチー「ピアノ協奏曲 変ホ長調」自作自演(最初期の左手協奏曲)
1905年 ブルーメンフェルド「左手のための練習曲 Op.36」(ゴドフスキーに献呈)
1912年 パハマン、ゴドフスキー編ショパン「革命のエチュード」左手独奏版を世界初録音
1914〜1918年 第一次世界大戦 ヴィトゲンシュタインが右腕を失う
1917年 ホーホシュテッター、両手用運指付きの片手編曲集「Album für das einhändige Klavierspiel」を出版(献呈:戦傷者へ)
1922〜1923年 コルンゴルト「ピアノ協奏曲 嬰ハ長調 Op.17」(初期の左手協奏曲)
1928〜1930年 ゴドフスキー、左手オリジナル作品群を集中的に作曲
1929〜1930年 ラヴェル「左手のためのピアノ協奏曲」作曲
1930年 ゴドフスキー、右手麻痺により演奏活動から退く
1931年 プロコフィエフ「ピアノ協奏曲 第4番 Op.53」完成(ヴィトゲンシュタインに拒絶される)
1932年 ラヴェル「左手のためのピアノ協奏曲」初演
1940年 ブリテン「ディヴァージョンズ Op.21」作曲
1941年〜 リパッティ、「左手のためのソナチネ」を着想・作曲
1948年 コーエン、右手を負傷
1950年 バックス「コンチェルタンテ」初演(コーエン独奏)
1956年 プロコフィエフ「ピアノ協奏曲 第4番」世界初演 / シリル・スミス、左腕麻痺を発症
1957年 ヴィトゲンシュタイン「School for the Left Hand」出版 / スミス夫妻、3手による演奏を録音
1965年頃 フライシャー、右手に異変が生じる(1991年に局所性ジストニアと判明)
1972年 レヴェンタール編「Piano Music for One Hand」出版
1975年 ロバート・ヘルプス「左手のための音楽 3つのエチュード」作曲
1980年 ラウル・ソーザ、右手負傷を機に左手のピアニストへ / ノヴァク、脳卒中により左手が不自由に
1982年 ノヴァク、右手のための作品「和泉式部の日記より7つの歌」「Practice Piece」を作曲
1985年 グラフマン、コルンゴルトの左手協奏曲を北米初演
1993〜2002年 グラフマンのための新作左手作品が複数初演
1996年 マルティンス、カーネギーホール復帰公演でラヴェル「左手のためのピアノ協奏曲」を演奏
2006年 ヒンデミットの左手協奏曲、80年以上を経て初出版
2021年 ルビー・モーガン編アンソロジー出版

 

► 左手作品の歴史

‣ 起点から第一次世界大戦まで

· 左手音楽の起点:右手でも左手でも弾ける小品から

 

現存する片手作品のなかでも特に古い部類に入るのが、カール・フィリップ・エマヌエル・バッハによる「右手あるいは左手のための小品」(譜例1)です。1770年より前に書かれたとみられるこの曲は、右手・左手のどちらでも演奏できるように構成されており、片手演奏という発想自体が近代の産物ではないことを教えてくれます。

譜例1(PD作品、浄書ソフトで作成、1-4小節)

C.P.E.バッハ「Klavierstück for the right or left hand alone」の曲頭の楽譜。

興味深いのは、この時点では左手と右手のあいだに扱いの差がなかったという事実です。今日では左手作品の数が右手作品を圧倒的に上回っていますが、それは歴史の出発点からそうだったわけではなく、後年の積み重ねによって生まれた差にすぎません。この点については、【ピアノ】なぜ、左手作品は右手作品よりも圧倒的に多いのか で詳しく取り上げています。

作品そのものの詳しい分析は、【ピアノ】片手作品入門:C.P.E.バッハ「Klavierstück for the right or left hand alone」演奏・分析ガイド を参考にしてください。

 

·「左手のために」書かれる作品の登場:19世紀前半

 

右手・左手どちらでも弾ける作品の次に訪れた節目が、明確に左手のためだけに書かれた作品の出版です。メンデルスゾーンの師としても知られるルートヴィヒ・ベルガーは、1820年頃「12の練習曲 Op.12 第9曲」(譜例2)を左手独奏用に仕上げました。この曲は、左手のために書かれ出版された作品として最初期の例とされています。ベルガー自身が腕の神経障がいを患い演奏活動を制限され始めた時期と近い点も、後から振り返ると意味深いところです。詳細は【ピアノ】左手作品から読み解くルートヴィヒ・ベルガー:左手のために書かれた最初期の出版作品 にまとめました。

譜例2(PD作品、浄書ソフトで作成、1-4小節)

12-9

1831年には、フレデリック・カルクブレンナーが「左手のための4声のフーガ」(譜例3)を出版します。対位法的な書法にまで踏み込んだ左手作品として、これは左手のための最初期のフーガとして位置づけられています。ショパンのパリデビューを後押ししたことでも知られる人物の、もう一つの顔がここに見えます。詳しくは【ピアノ】左手作品から読み解くカルクブレンナー:左手のための最初のフーガを遺した名ピアニスト をご覧ください。

譜例3(PD作品、浄書ソフトで作成、1-8小節)

カルクブレンナー「左手のための4声のフーガ」1-8小節

同じ時期、演奏会の舞台では「左手だけで両手分を弾く」ヴィルトゥオーゾたちが聴衆を沸かせていました。その筆頭が、ボヘミア出身のアレクサンダー・ドライショクです。1843年のパリ公演では「左手のための変奏曲 Op.22」(譜例4)を披露し、批評家たちを驚愕させました。左手演奏を公の場で見世物的に成立させた最初期の存在として、その足跡は【ピアノ】左手作品から読み解くドライショク:片手で二人分を弾いた男 で紹介しています。

譜例4(PD楽曲、浄書ソフトで作成、1-4小節)

ドライショク「左手のための変奏曲 Op.22」譜例(1〜4小節)

ドライショクへのオマージュとして左手小品『3つの即興曲「ドライショクへのオマージュ」Op.33 より 第2曲』(譜例5)を書いたのが、ブラームスの師として知られるエードゥアルト・マルクスゼンでした。1844年前後、ドライショクとヘンゼルトという当代一流の技巧派に向けて左手作品を献呈しており、この時代の演奏界がいかに左手の技術に注目していたかがうかがえます(【ピアノ】左手作品から読み解くマルクスゼン:ブラームスの恩師が遺した片手の音楽)。

譜例5(PD楽曲、浄書ソフトで作成、第2曲 1-4小節)

マルクスゼン

 

· 演奏会の花形へ:1850年代のオペラ編曲ブーム

 

1850年代のヨーロッパでは、左手のみによるオペラ主題のトランスクリプションが演奏会の目玉になっていきました。北イタリア出身のアドルフォ・フマガッリは、ヴェルディやベッリーニ、マイアベーアの旋律を左手独奏に編み直し、パリの聴衆を沸かせています(【ピアノ】左手作品から読み解くフマガッリ:28歳で逝った「ピアノのパガニーニ」)。

彼のトランスクリプションでは、『「清らかな女神(カスタ・ディーヴァ)」(ベッリーニ《ノルマ》より) Op.61』(譜例6)が最も広く知られています。

1855年のサール・エルズでの演奏会では、右手を膝に置いたまま左手だけで弾いていることに聴衆が気づかず驚いたという逸話も残るほどでした。28歳という若さで世を去った彼の生涯は、19世紀中頃の左手演奏文化を映す鏡と言えるでしょう。

譜例6(PD楽曲、浄書ソフトで作成、1-5小節)

フマガッリ 「清らかな女神(カスタ・ディーヴァ)」(ベッリーニ《ノルマ》より)Op.61 冒頭1〜5小節の楽譜。

同じ1852年、ブラームスはJ.S.バッハの「シャコンヌ」を左手独奏用に編曲しました(譜例7)。この編曲は、後世に何度も参照される規範的な一版となります。ジチー版、フィリップ版、ヴィトゲンシュタイン版など、後続する複数の左手版シャコンヌの成立と比較は、【ピアノ】左手のみで演奏するJ.S.バッハ「シャコンヌ」編曲版の種類と背景 にまとめています。

譜例7(PD作品、浄書ソフトで作成、1-5小節)

J.S.バッハ作曲、ブラームス編曲「シャコンヌ」の楽譜。曲の冒頭の譜例が掲載されている。

 

· 片腕の演奏家たちが切り開いたレパートリー:ジチーとゴドフスキー

 

19世紀に左手のためのピアノソナタを出版した作曲家は、ゲザ・ジチーとカール・ライネッケの二人のみとされています。ライプツィヒ音楽院の教授・院長として古典的形式を重んじたライネッケが、1884年に左手ソナタとしての最初期の作品「左手のためのピアノソナタ Op.179」(譜例8)という4楽章の大作を世に出した経緯は【ピアノ】左手作品から読み解くカール・ライネッケ:19世紀に左手ソナタを書いた先駆者 で読むことができます。

譜例8(PD作品、浄書ソフトで作成、第1楽章 1-3小節)

ライネッケ「左手のためのピアノソナタ ハ短調 Op.179 第1楽章」1-3小節

左手音楽の歴史において、演奏家自身が片手であることを背負いながらレパートリーを開拓した例として欠かせないのが、ハンガリー伯爵ゲザ・ジチーです。15歳のときの狩猟事故で右腕を失ったジチーは、左手だけで演奏会活動を本格化させた先駆者でした。リストとの深い親交もあった彼は多くの作品を生み出し、1887年には「左手のためのピアノソナタ」(譜例9)を、1895年には自ら演奏するための「ピアノ協奏曲 変ホ長調」を発表しています。この協奏曲は、左手のピアニスト自身が書いた最初期の左手協奏曲として位置づけられています。その生涯と作品群は【ピアノ】左手作品から読み解くジチー:片腕だけで演奏会を切り開いた伯爵 で紹介しました。

譜例9(PD作品、浄書ソフトで作成、第1楽章 1–2小節)

ジチー「左手のためのピアノソナタ 第1楽章」1–2小節の楽譜

ジチーと親交のあったリストも、晩年に「ハンガリーの神 S.543 R.214」(譜例10)という、リスト自身が作曲した歌曲の左手編曲版をジチーへ贈っています。詳しくは【ピアノ】左手作品から読み解くリスト:二つの作品に見る作曲家の素顔 をご覧ください。

譜例10(PD作品、浄書ソフトで作成、1-4小節)

リスト「ハンガリーの神 S.543 R.214」1-4小節。

同じ頃、右手の腱炎という一時的な危機を左手だけの猛練習で乗り越えたのが、若き日のアレクサンドル・スクリャービンです。モスクワ音楽院時代、同級生ヨゼフ・レヴィーンへの対抗心から酷使した右手を壊し、6ヶ月にわたり左手だけで練習を続けた経験は、1894年、「左手のための2つの小品 Op.9」(譜例11 Op.9-1、譜例12 Op.9-2)として結実しました(【ピアノ】左手作品から読み解くスクリャービン:右手への執着と、左手のための名品)。

譜例11(PD楽曲、浄書ソフトで作成、1-3小節)

スクリャービン「左手のための2つの小品 Op.9-1」の曲頭の楽譜。

譜例12(PD楽曲、浄書ソフトで作成、1-3小節)

スクリャービン「左手のための2つの小品 Op.9-2」の曲頭の楽譜。

1905年には、ロシアの指揮者・作曲家フェリックス・ブルーメンフェルドが「左手のための練習曲 Op.36」(譜例13)をレオポルド・ゴドフスキーへ献呈しました。この一曲は、後にシモン・バレルの録音を通じてレオン・フライシャーの左手レパートリー開拓につながるなど、後世への継承という点でも重要な役割を果たしています(【ピアノ】左手作品から読み解くブルーメンフェルド:ゴドフスキーに捧げられた1905年の左手練習曲)。

譜例13(PD楽曲、浄書ソフトで作成、1-2小節)

ブルーメンフェルド「左手のための練習曲 Op.36」冒頭部分の楽譜。タールベルク的奏法も含む左手独奏作品。

そのゴドフスキー自身は、1890年代からショパンのエチュードを左手独奏用に再構成し、その数は22曲にのぼりました(譜例14)。

譜例14(PD楽曲、浄書ソフトで作成、ショパンのエチュードによる練習曲 より No.22 Op.10-12 革命 1-2小節)

ゴドフスキー「ショパンのエチュードによる練習曲 より No.22 Op.10-12 革命」1-2小節

「左手の使徒」と呼ばれるほど左手音楽を追求しながら、1930年の脳卒中による右手麻痺後も左手ピアニストへは転身しなかったという逆説的な生涯は、【ピアノ】左手作品から読み解くゴドフスキー:「左手の使徒」が遺した作品群【ピアノ】なぜ、ゴドフスキーは左手のピアニストにならなかったのか の2本で掘り下げました。

また、1912年には、ショパン弾きとして名を馳せたピアニスト、ヴラディーミル・ド・パハマンが、この曲集に含まれる第22番——ショパン「革命のエチュード」の左手編曲——を世界で初めて録音しています。この曲集からの最初の録音であると同時に、曲集に含まれる左手独奏作品の最初の録音でもありました。詳しくは【ピアノ】左手音楽から読み解くヴラディーミル・ド・パハマン をご覧ください。

 

‣ 第一次世界大戦以後

· 第一次世界大戦と委嘱の時代:パウル・ヴィトゲンシュタイン

 

左手音楽が「特殊な演目」から「本格的な演奏会レパートリー」へと大きく発展する転機となったのが、第一次世界大戦と、その負傷者たちの存在でした。

1917年、ドイツの作曲家・編曲家ツェーザル・ホーホシュテッターは、名曲を左右どちらの手でも弾けるように編曲した曲集「Album für das einhändige Klavierspiel(片手ピアノのためのアルバム)」(譜例15)を出版しています。「Den Verwundeten(負傷者へ)」という献辞からは、戦争によってどちらの手を負傷した人にも演奏を続けてもらいたいという意図がうかがえます。著名な一人の演奏家のための委嘱ではなく、無名の多くの負傷者に向けて出版された実用的な曲集として、大戦期の片手音楽の広がりを別の角度から示す例と言えるでしょう。詳しくは【ピアノ】片手作品から読み解くツェーザル・ホーホシュテッター:第一次世界大戦の負傷者へ捧げた名曲編曲集 をご覧ください。

譜例15(PD作品、浄書ソフトで作成、第1曲 J.S.Bach: Präludium. Elegie. Aus dem 2. Teile des Wohltemperierten Klaviers 1-5小節)

バッハ=ホーホシュテッター「平均律クラヴィーア曲集 第2巻 第12番 BWV881 ヘ短調 より プレリュード」1-5小節

右腕を失ったウィーンのピアニスト、パウル・ヴィトゲンシュタインは、既存の左手作品を探すだけでは飽き足らず、豊富な資産を背景に同時代の作曲家へ次々と新作を委嘱していきます。コルンゴルト、フランツ・シュミット、ヒンデミット、ラヴェル、プロコフィエフ、ブリテン——約40曲にのぼる委嘱作品群の全体像は、【ピアノ】パウル・ヴィトゲンシュタイン 完全ガイド:右腕を失ったピアニストが切り拓いた「左手音楽」の世界 でまとめて紹介しています。

なかでも1929年から1930年にかけて生まれたラヴェルの「左手のためのピアノ協奏曲」(譜例16)は、左手作品を独立したジャンルへ引き上げた記念碑的な一曲とされています。両手作品に劣らない音響的密度を目指したその設計思想と、ヴィトゲンシュタインとの間に生じた確執については【ピアノ】なぜ、ラヴェルの左手協奏曲は傑作なのか?:左手音楽史から読み解く で詳しく取り上げました。

譜例16(PD作品、浄書ソフトで作成、ソロの初導入部 29-33小節)
※ラヴェル自身によるピアノ伴奏版編曲(ソロ+ピアノ伴奏形式:2台ピアノ)から浄書

ラヴェル「左手のためのピアノ協奏曲」29〜33小節の楽譜(2台ピアノ版)。長い序奏の末にピアノ独奏が初登場する場面。

対照的なコンセプトで書かれたのが、1940年のブリテン「左手ピアノと管弦楽のための主題と変奏 ディヴァージョンズ Op.21」です。両手の音響を再現しようとしたラヴェルに対し、ブリテンは単一の旋律線が持つ可能性を追求する道を選びました。二つの協奏曲の比較は【ピアノ】ラヴェルとブリテンの左手協奏曲:対照的な二つのコンセプトを比較する で紹介しています。

一方、プロコフィエフの「ピアノ協奏曲 第4番 Op.53」(譜例17)は、ヴィトゲンシュタインに拒絶されたまま長く眠り続けた作品でした。1931年の完成から25年後、右手を負傷したドイツのピアニスト、ジークフリート・ラップの尽力によってようやく初演が実現します。この経緯は【ピアノ】左手音楽から読み解くジークフリート・ラップ で紹介しました。

譜例17(PD楽曲、浄書ソフトで作成、1-4小節)
原曲譜例 / アナトリー・ヴェデルニコフ編は、著作権保護期間中につき、譜例掲載不可

プロコフィエフ「ピアノ協奏曲 第4番 変ロ長調 Op.53(左手のための)」1-4小節

ヴィトゲンシュタインが編纂した「School for the Left Hand」に収められた「イゾルデの愛の死」左手編曲版(譜例18)については、編曲者がヴィトゲンシュタイン本人なのかピアニストのイグナツ・フリードマンなのか、資料によって見解が分かれています。この帰属問題は【ピアノ】左手作品から読み解くイグナツ・フリードマン:名ピアニストと帰属の定まらない左手編曲 で整理しました。

譜例18(PD楽曲、浄書ソフトで作成、33-36小節)

「イゾルデの愛の死」左手独奏編曲の譜例(33〜36小節)

 

· 戦争と身体的困難のなかで生まれた作品たち

 

ルーマニア出身のピアニスト、ディヌ・リパッティは「左手のためのソナチネ」(譜例19)を作曲しました(戦前の着手で、完成は1947年8月とされている)。片脚の恩師への贈り物という逸話が伝わるこの作品は、演奏家としてだけでなく作曲家としてのリパッティの一面を伝えています(【ピアノ】左手作品から読み解くリパッティ:逸話に彩られた左手のソナチネ)。

譜例19(PD作品、浄書ソフトで作成、第1楽章 1-4小節)

リパッティ「左手のためのソナチネ 第1楽章」1-4小節。

20世紀後半には、アルゼンチン出身のカナダ人ピアニスト、ラウル・ソーザも登場します。1980年に右手を負傷したソーザは、両手のピアニストとしてのキャリアから左手のピアニストへと転換し、J.S.バッハやラヴェル、ストラヴィンスキーの名曲の左手編曲、さらにオリジナルの協奏曲まで、自ら作曲・演奏する独自の道を歩みました(【ピアノ】左手作品から読み解くラウル・ソーザ:右手の負傷が開いた、もう一つのキャリア)。

同じ1980年、対照的な運命をたどったのがアメリカの作曲家・ピアニストのライオネル・ノヴァクです。彼はこの年の脳卒中により左手の自由を失いました。ソーザが右手を負傷して左手のピアニストへ転じたのに対し、ノヴァクは右手だけで演奏するための作品を自ら書き、また同僚や家族からも右手のための作品を数多く贈られています。「左手作品」が主流を占めるこの分野において、右手のために書かれたレパートリーが形成された珍しい例として、詳しくは【ピアノ】片手作品から読み解くライオネル・ノヴァク:左手の自由を失った音楽家と右手のための音楽 をご覧ください。

このほか、20世紀前半に活躍したヨゼフ・ホフマン(【ピアノ】左手作品から読み解くヨゼフ・ホフマン:ルービンシュタイン唯一の弟子が遺した片手の練習曲)や、膨大な練習曲を書き残したフェルディナンド・ボナミーチ(【ピアノ】左手作品から読み解くボナミーチ:膨大な練習曲が語るもの)、右手に困難を抱えた時期に3つのエチュードを書いたアメリカの作曲家ロバート・ヘルプス(【ピアノ】左手作品から読み解くロバート・ヘルプス:右手の困難の中で書いた3つのエチュード)など、左手音楽という切り口だけでは語りきれない音楽家たちも、それぞれ一曲、あるいは一群の作品を左手のために残しています。

 

· 演奏家が支えた復興と継承:第二次世界大戦以降

 

第二次世界大戦を経て、片腕や片手の不調を抱えながら演奏を続けたピアニストの存在も、片手レパートリーの厚みが増すきっかけになりました。

右手の負傷を機に左手での活動を続けたピアニストとして、ハリエット・コーエンの名も挙げられます。1948年のグラスでの負傷をきっかけに、アーノルド・バックスが彼女のために「コンチェルタンテ」を書き上げ、1950年に初演されました(【ピアノ】左手音楽から読み解くハリエット・コーエン)。

1956年、ソヴィエト公演中に左腕の麻痺を発症したシリル・スミスは、妻フィリス・セリックとのデュオを守るため、独奏ではなく「3手」という独自の編成を選びます。この決断はヴィトゲンシュタインの道とは対照的なものでした。詳しくは【ピアノ】片手音楽から読み解くシリル・スミス:左腕の自由を失ったピアニストが拓いた「3手」の音楽 をご覧ください。

1972年に出版されたレイモンド・レヴェンタール編「Piano Music for One Hand」は、左手音楽を体系的に学べる数少ないアンソロジーとして、その後の学習・普及に大きな役割を果たしています(【ピアノ】左手音楽から読み解くレイモンド・レヴェンタール)。

同じ時期、右手の不調と向き合いながら左手音楽の普及に力を尽くしたピアニストとして、レオン・フライシャーも欠かせません。1960年代半ばに右手の指が思うように動かなくなり、1991年に局所性ジストニアと正式に診断され、のちの緩和に向かうまで、長い模索の時代を過ごしました。その間、指揮・教育とともに左手レパートリーへの取り組みを本格化させています。詳しくは【ピアノ】左手音楽から読み解くレオン・フライシャー:ジストニア、左手レパートリー、そして復帰 をご覧ください。

フライシャーと同じく、それを舞台に乗せ続けた演奏家の一人が、ゲイリー・グラフマンです。両手のヴィルトゥオーゾとして名を馳せながら右手のジストニアに苦しんだグラフマンは、長く忘れられていたコルンゴルトの「左手のためのピアノ協奏曲 嬰ハ長調 Op.17」(譜例20)を1985年に北米で復活させ、さらに自身のために6曲以上の新作を委嘱しています。その歩みは【ピアノ】左手音楽から読み解くゲイリー・グラフマン:右手の故障から生まれた新たなレパートリー にまとめました。

譜例20(PD作品、浄書ソフトで作成、1小節目)

コルンゴルト「左手のためのピアノ協奏曲 嬰ハ長調 Op.17」1小節目

フライシャーと1958年から親交を結び、演奏や運指のアイデアを交換していたブラジルのピアニストが、ジョアン・カルロス・マルティンスです。18歳での右手の異変に始まり、サッカー事故による尺骨神経損傷、1995年の暴漢襲撃と、幾重もの困難に見舞われながら、1996年のカーネギーホール復帰公演ではラヴェルの左手協奏曲を演奏しました。詳しくは【ピアノ】左手音楽から読み解くジョアン・カルロス・マルティンス をご覧ください。

近年では、ジストニアと向き合ったピアニスト、ルビー・モーガンによる2021年のアンソロジー出版など、左手音楽の校訂・再評価は現在も続いています(【ピアノ】Ruby Morgan「An Anthology of Piano Music for the Left Hand Alone」完全ガイド)。

 

► 終わりに

 

C.P.E.バッハの小品からヴィトゲンシュタインの委嘱作品群、そして現代の演奏家たちの活動まで、左手ピアノ音楽の歴史は少しずつ積み重ねられてきました。その歩みを支えてきたのは、作曲家の探求心だけではありません。腕を失った演奏家、右手を故障したヴィルトゥオーゾ、そして彼らのために新しい音楽を書いた同時代の作曲家たち——それぞれの選択が重なり合って、今日手にしているレパートリーが形作られています。

本記事はあくまで全体を俯瞰するための入り口です。気になる作曲家や作品があれば、個別の記事にも足を運んでみてください。一曲ごとの背景を知ることで、左手という制約のなかで音楽がどこまで広がりうるのか、その輪郭がさらにくっきりと見えてくるはずです。

なお、本記事の年表と個別記事をどのような順番で読み進めると効率よく理解が深まるかについては、【ピアノ】左手音楽史の学び方:効率よく理解を深めるためのステップ で具体的なステップを紹介しています。「一通り読んだけれど知識がばらばらのまま」という方は、あわせてご覧ください。

また、年表で辿った出来事を「ヴィルトゥオーゾ文化」という一つの軸から読み解き直した記事として、【ピアノ】ヴィルトゥオーゾ文化から読み解く左手ピアノ音楽の歴史 もあわせてお読みいただけます。ドライショクやフマガッリの見世物的な演奏からゴドフスキーの音楽語法への昇華、ブラームスやスクリャービンの内省的な動機、そしてヴィトゲンシュタインへの継承までを一つの流れとして捉え直しており、年表で個々の出来事を追ったあとに読むと、点だった知識が線としてつながりやすくなります。

 

参考文献:

・Edel, Theodore. Piano Music for One Hand. Indiana University Press, 1994.
・Patterson, Donald L. One Handed: A Guide to Piano Music for One Hand. Greenwood Press, 1999.
The New Grove Dictionary of Music and Musicians

 

併読推奨記事

【ピアノ】「Piano Music for One Hand」(テオドール・エーデル 著)レビュー
【ピアノ】「One Handed」(ドナルド・L・パターソン 編)レビュー

 

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