【ピアノ】左手音楽から読み解くハリエット・コーエン

【ピアノ】左手音楽から読み解くハリエット・コーエン

► はじめに

 

アーノルド・バックス(Arnold Bax, 1883-1953)の「コンチェルタンテ——原題:Concertante for Piano Left Hand, GP378」という作品をご存知でしょうか。

この作品には、少し特殊な背景があります。独奏を務めたのは、イギリスを代表するピアニストの一人、ハリエット・コーエン(Harriet Cohen, 1895-1967)。もともと非常に小さな手の持ち主でありながら、バッハの名手として、また同時代のイギリス音楽を支える重要なピアニストとして活躍した人物です。

ところが1948年、右手を負傷し、以後、1951年頃まで左手のみで演奏活動を続けることになります。そして、この出来事をきっかけに生まれたのが、バックスの「コンチェルタンテ」でした。

本記事では、左手音楽という視点から、ハリエット・コーエンの生涯と、彼女のために書かれた「コンチェルタンテ」をたどってみたいと思います。

 

► 左手音楽から読み解くハリエット・コーエン

‣ J.S.バッハの名手として

 

コーエンは1895年12月2日、ロンドンに生まれました。両手とも、1オクターブに届く程度の非常に小さな手の持ち主だったといいますが、J.S.バッハ演奏の権威として高く評価されるピアニストへと成長していきます。

同時代の作曲家たちとの関わりも深く、ヴォーン・ウィリアムズやコンスタント・ランバートといった作曲家たちから作品を献呈されました。バルトークの《ミクロコスモス》第6巻に収められた「6つのブルガリア舞曲」も、コーエンに献呈されています。

同時代のどのピアニストよりも多くの作品初演を手がけたとも言われるほど、当時の音楽シーンにおいて重要な役割を担っていた人物だったと言えるでしょう。

 

‣ アーノルド・バックスとの出会い

 

コーエンの人生を語るうえで欠かせないのが、作曲家アーノルド・バックスとの関係です。

バックスより12歳年下だったコーエンは、既婚者だった彼と30年以上にわたる関係を続けることになります。バックスは彼女への思いを音楽に託し、「水仙を持つ乙女」(1915年)や「ティンタジェル」(1921年)といった名作を生み出しました。ただしこの関係は、決して平坦なものではなかったようです。1947年にバックスの妻が亡くなった際、コーエンはついに結婚できると考えていましたが、バックスはこれを拒み、さらに20年にわたって別の女性と関係を続けていたことを明かしたと伝えられています。

 

‣ 1948年の負傷

 

そんな中、1948年、コーエンの人生を大きく変える出来事が起こります。グラスの載ったトレイを運んでいた際に右手を負傷し、9針を縫うほどの大怪我を負ってしまったのです。数日間の入院を要するほどの深刻な負傷であり、これ以降、彼女のピアニストとしてのキャリアは、かつてのようには戻らなくなってしまいました。

興味深いことに、この負傷の経緯については、いくつかの疑問も呈されています。コーエン自身の回顧録「A Bundle of Time」にも、この出来事についての記述が一切ありません。バックスとの関係における長年の苦悩を踏まえ、単なる事故ではなかったのではないかという見方も示されているものの、真相は今も明らかになっていません。

 

‣ バックス「コンチェルタンテ」の誕生

 

譜例(PD作品、浄書ソフトで作成、第1楽章 1-4小節)

バックス「コンチェルタンテ(左手のための) 第1楽章」1-4小節

そんな中で、右手を負傷したコーエンのためにバックスが書き上げたのが「コンチェルタンテ」でした。当初は「左手ピアノを伴う管弦楽のための協奏曲」として構想され、最終的に「コンチェルタンテ」と名づけられました。これはバックスにとって、晩年を代表する重要な作品の一つとなりました。

全3楽章からなり、演奏時間は約24分。冒頭ではピアノ独奏が印象的に登場します。

この曲を書くにあたって、バックスは単に「左手のための作品」という制約だけでなく、コーエンの手がもともと非常に小さかったという事情にも配慮しなければならなかったといいます。長年にわたって親密な関係を築いてきたコーエンのために、二重の制約と向き合いながら作曲したバックスの姿勢が伝わってくるエピソードと言えるでしょう。

作品は1950年7月4日、チェルトナム・フェスティバルにおいて、コーエンの独奏、ジョン・バルビローリ指揮ハレ管弦楽団によって初演されました。その後、7月25日にはロンドンのロイヤル・アルバート・ホールでも演奏されています。

なお、この作品からは「Slow Movement」と題した抜粋の独奏用両手編曲版も出版されています。編曲を手がけたのは作曲家ウィリアム・ロイド・ウェバー(のちの著名な作曲家アンドリュー・ロイド・ウェバーの父)だと伝えられています。

 

‣ 片手での演奏、そして引退

 

負傷後のコーエンは、1951年頃まで左手のみでの演奏活動を続けていたとされています。その後は徐々に演奏機会も減り、1960年には演奏活動から引退しました。晩年のバックスとの関係は、それでも途切れることはなかったようです。1953年10月、バックスが亡くなる当日、彼はコーエンに会いたいという電報を送っていましたが、コーエンがそこにたどり着く前に、バックスは心不全のため69歳でこの世を去りました。

 

► 終わりに

 

ハリエット・コーエンという名前は、今日では広く知られているとは言えないかもしれません。しかし、同時代の名だたる作曲家たちから信頼を寄せられ、数々の作品を初演してきたその功績は、決して小さなものではありませんでした。

そして、右手の自由を失うという苦難の中で生まれたバックスの「コンチェルタンテ」は、二人の長い関係を象徴する作品であると同時に、左手音楽の歴史における貴重な一曲として、今も残されています。

 

参考文献:

・Cohen, Harriet. A Bundle of Time. Faber and Faber, 1969.
・Edel, Theodore. Piano Music for One Hand. Indiana University Press, 1994.
・Patterson, Donald L. One Handed: A Guide to Piano Music for One Hand. Greenwood Press, 1999.

 

参考資料・ウェブ資料

・The Sir Arnold Bax Website. “Score and Performance Materials.”
・Corymbus「The Music That Time Forgot」
・Melanie Spanswick「Pianists From The Past: Harriet Cohen」

 

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