【ピアノ】左手音楽から読み解くジークフリート・ラップ

【ピアノ】左手音楽から読み解くジークフリート・ラップ

► はじめに

 

ドイツのジークフリート・ラップ(Siegfried Rapp)は、戦争によって右手を失いながらも、ピアニストとしての道を諦めませんでした。彼の名は、長らく封印されていたプロコフィエフの「ピアノ協奏曲 第4番 Op.53」を、作曲から25年もの時を経て初演したことで知られています。

本記事では、そんなラップの歩みを「左手音楽」という視点から辿っていきます。

 

► 左手音楽から読み解くジークフリート・ラップ

‣ 戦場での負傷、そしてピアノへの渇望

 

ラップの生没年については資料によって記述が分かれており、1917年ケムニッツ生まれ・1977年カール=マルクス=シュタット没とする資料と、1915年生・1982年没とする資料が混在しています。ライプツィヒ音楽院ではロベルト・タイヒミュラーに師事し、ピアニストとしての基礎を築いています。

しかし第二次世界大戦が、彼の人生を大きく変えることになりました。東部戦線に従軍したラップは、砲弾の破片によって右手を負傷してしまいます。それでも音楽への思いを絶つことはできませんでした。「私にとって、音楽への渇望はあまりにも強く、決してあきらめたいとは思わなかった」と本人が語っているように、彼は片手、すなわち左手のみでの演奏という道を選び、再びピアノの勉強に打ち込んでいきました。

 

‣ 左手のレパートリーを切り拓く

 

ラップがまず土台としたのは、ラヴェルの「左手のためのピアノ協奏曲」でした。ここから左手のレパートリーを学び始め、1950年代の東ドイツを代表する左手ピアニストの一人となります。とりわけブリテンの「左手ピアノと管弦楽のための主題と変奏 ディヴァージョンズ Op.21」はしばしば演奏の機会があり、聴衆から好評を博しました。ある演奏は本人の知らないうちに録音され、ラジオ局によって販売されてしまうという出来事もあったそうです。それだけ需要のある演奏家だったということでしょう。

また、セルゲイ・ボルトキエヴィチの「左手のためのピアノ協奏曲 第2番 Op.28」にも早くから注目していました。この作品はヴィトゲンシュタインによって初演されたものの、その後はほとんど演奏されなくなっていました。1952年、ラップはボルトキエヴィチ協会が所蔵していた楽譜の写しを入手し、その年にバート・ライヒェンハルで演奏を実現させます。翌1953年には、クルト・シュトリーグラー指揮、シュターツカペレ・ドレスデンとの共演でも取り上げました。こうした活動からも、ラップが埋もれかけていた左手作品を積極的に紹介し、その普及に尽力した演奏家であったことがうかがえます。

 

‣ 25年越しの初演:プロコフィエフ「ピアノ協奏曲 第4番 Op.53」

 

ラップの名を最も語り継がせているのが、プロコフィエフの「ピアノ協奏曲 第4番 Op.53」の初演でしょう。この作品は、パウル・ヴィトゲンシュタインの委嘱により1931年にパリで完成しました。全4楽章からなり、演奏時間は約24分に及ぶ本格的な左手協奏曲です。

ところが、献呈を受けたヴィトゲンシュタインは、この作品を受け入れませんでした。プロコフィエフへの返書では、「この曲には一音も理解できるところがなく、演奏しない」とまで述べたと伝えられています。その結果、作品は出版されないまま、ヴィトゲンシュタインが保有する独占演奏権のもとで長く演奏される機会を失ってしまいました。

この状況を変えたのがラップでした。1950年頃、彼はヴィトゲンシュタイン本人に演奏許可を申し出ます。当初、ヴィトゲンシュタインは「自分が公の場で演奏する限り、この作品は自分だけが演奏すべきだ」として難色を示しましたが、最終的には許可を与えることになります。

こうして1956年9月5日、ベルリンでラップの独奏により世界初演が実現しました。作曲から実に25年後のことでした。

なお、プロコフィエフ自身も自伝の中で、この作品がヴィトゲンシュタインに受け入れられなかった経緯に触れており、作曲者として複雑な思いを抱いていたことがうかがえます。ラップによる初演は、長く眠り続けていた作品にようやく命が吹き込まれた瞬間だったと言えるでしょう。

 

‣ マズアとの録音、そのほかの活動

 

ラップの演奏は現在も録音で聴くことができます。クルト・マズア指揮ゲヴァントハウス管弦楽団とともに、ラヴェルの「左手のためのピアノ協奏曲」を録音しており、こちらは現在でも音源として親しまれています。プロコフィエフの「ピアノ協奏曲 第4番 Op.53」についても録音を残しており、当時の左手音楽の貴重な記録として、今なお聴くことのできる財産と言えるでしょう。

 

ラップが演奏するプロコフィエフ「ピアノ協奏曲 第4番 Op.53」を聴く

Prokofiev: Klavierkonzert 2&4

 

‣ ラップは作曲・編曲を行っていたのか

 

改めて調べてみたところ、ラップ自身が左手のための作品を作曲したり、既存の作品を左手用に編曲したりしたという記録は見当たりませんでした。あくまで既存の左手作品を発掘し、演奏を通じてその価値を世に知らしめていく——そうした「演奏家・伝道者」としての役割こそが、ラップの最大の功績だったと言えそうです。グラフマンと同じく、作曲家ではなく演奏家として左手音楽の歴史に名を刻んだ人物でした。

 

► 終わりに

 

忘れられかけていた作品に光を当て、25年間封印されていた左手協奏曲を世に送り出した彼の粘り強さは、左手音楽の歴史において決して小さくない足跡です。演奏権をめぐるヴィトゲンシュタインとの交渉の末に実現した初演というエピソードは、左手音楽が一人の作曲家や一人の演奏家だけでなく、様々な人々の関わりの中で受け継がれてきたことを、あらためて教えてくれるように思います。

 

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