【ピアノ】ヴァルター・ゲオルギイの片手ピアノ観:4つの著作から読み解く
► はじめに
ヴァルター・ゲオルギイ(Walter Georgii, 1887-1967)という名前は、片手ピアノに関心を持つ方であれば、一度は目にしたことがあるのではないでしょうか。彼が編纂した曲集や、著した教則本は今も入手可能で、片手ピアノを学ぶうえで貴重な手がかりを与えてくれます。
一方、それぞれの著作を個別に読んでいるだけでは、ゲオルギイが片手ピアノというジャンルをどのように捉えていたのか、その全体像はなかなか見えてきません。そこで本記事では、彼の代表的な4つの著作を横断的に見ながら、片手音楽に対する考え方を浮かび上がらせてみたいと思います。
► ヴァルター・ゲオルギイの片手ピアノ観
‣ ゲオルギイの4つの著作
まず、今回取り上げる4冊を簡単に整理しておきます。執筆年代は1941〜1955年と幅がありますが、それぞれが異なる立場から片手音楽に触れており、比較することで共通した考え方が見えてきます。
| 原題・初版年 | 内容 |
|---|---|
| Klaviermusik(1941) | 両手・4手のピアノ音楽史を扱った大著・改訂第5版(1976) 片手作品への言及も含まれる |
| Klavierspielerbüchlein(1953) 日本語版「ピアニストの手帖」 |
ピアノ演奏技術全般に関する実践的な助言集 両手演奏を前提としているが、中には指の故障や左手訓練の章あり |
| Einhändig(1955) 日本語版「片手で弾くピアノ曲集」 |
片手のためのオリジナル作品・編曲作品を収めた曲集 |
| Einhändig 2 | 3手(1手+2手)作品、ヴァイオリンと1手による室内楽を収録 輸入楽譜のみ |
個別の内容が気になる方は、記事末尾のリンクから合わせてご覧ください。本記事では、4冊を貫くゲオルギイの姿勢そのものに焦点を当てていきます。
‣ 名人芸より、演奏する喜びを:Einhändigに込めた方針
Einhändigシリーズの編纂方針としてまず目を引くのは、難曲を並べて片手の名人芸を披露させることが目的ではないという点です。片手で演奏する学習者が音楽そのものを楽しめること、演奏する喜びを味わえることに重きが置かれており、収録された作品の難易度設定や選曲、各曲に添えられた演奏アドバイスにもその考え方が一貫して表れています。
第1巻はオリジナル作品と編曲作品を分けて構成し、巻末には片手ピアノの演奏法、編曲技法、そして作曲史の概観までがまとめられているのが大きな特徴と言えるでしょう。単なる楽譜集ではなく、片手ピアノというジャンルを多角的に知るための資料としての性格を強く持たせています。
第2巻については、3手(1手と2手の連弾)作品やヴァイオリンと1手による室内楽が収められており、日本ではあくまで輸入楽譜としての流通に限定されてきました。こちらも解説付きとなっており、シリーズでの基本的方針は一致しています。
‣「ピアニストの手帖」にみる、片手奏者への眼差し
「ピアニストの手帖」は、両手で弾くピアニストに向けた実践的な助言集という体裁を取っていますが、その中には片手だけで弾く人たちへの視線が随所に感じられる章があります。
· 指を痛めたときの対応(第17章「指の故障」)
この章でゲオルギイが強調しているのは、1本の指だけが動かせなくなったからといって、その手全体をあきらめる必要はないという考え方です。中指が使えないケースを例に、残りの4本の指を使ったトリルやスケール、跳躍やポリリズムの練習法が具体的に示されており、故障の種類や程度に応じて他の指の組み合わせに読み替えられることも具体的に解説されています。
さらに回復までに数日以上かかりそうな場合には、思い切って片手のための作品に取り組んでみることも提案されている点は見逃せません。中級・上級向けの作品であれば、本記事でも紹介している「Einhändig」を通じてかなりの数を入手できるとされ、自身が編んだ曲集が実際の対処法として紹介されている点も見逃せません(実際は、初級レベルで演奏できる作品も収録)。
また、この章の終盤では、生まれつきや病気、けがなどの理由で片方の手しか自由に動かせず、弦楽器や管楽器を断念せざるを得ない子供たちについても言及されています。そうした子供たちであっても、教師に工夫があれば片手でピアノを楽しむことができるとし、まずは民謡の旋律に教師や家族が伴奏を付けて3手で弾くところから始め、次第に簡単な伴奏を組み込んだ片手だけの編曲へ移行していくという具体的な道筋が示されています。片手ピアノを、けがをした奏者のための一時的な代替手段としてだけでなく、生涯にわたる音楽との関わり方として捉えていることがうかがえるのが特筆すべきでしょう。
· 左手強化の必要性とレパートリー(第4章「左手の訓練」)
この章はもともと両手奏者に向けた内容ですが、右手偏重になりがちな理由を歴史的な作曲様式に求めている点は、片手ピアノを考えるうえでも参考になるでしょう。19世紀以降のピアノ作品の多くはホモフォニックな書法によっており、右手に多くを要求する曲が中心となってきたため、どうしてもテクニックが偏りやすい、という指摘です。そのため、テクニック練習の時間の半分以上を左手に割くべきだとされています。
その延長として紹介されているのが、左手だけのために書かれた演奏会用作品。サン=サーンスの「左手のための6つの練習曲 Op.135」、レーガーの「左手のための4つの特別な練習曲 より 4.前奏曲とフーガ」、スクリャービンの「左手のための2つの小品 Op.9」、スイスのワルター・ラングによる「ソナチネ ホ短調」、パウル・ヘッファーの「12のピアノ小品 より 左手のための2つの練習曲」などが挙げられており、けがや不測の事態に備えて、こうした左手作品を一つくらいは折に触れて勉強しておくべきだとも述べられています。
なお、「左手のための作品は右手だけでも演奏可能だが、小さな手直しがしばしば必要になる」という指摘もあり、片手用編曲を左右どちらの手にも対応させる発想が根底にあることが読み取れました。この発想は、Einhändigシリーズとも共通する姿勢です。
‣「Klaviermusik」が示す、歴史の中での位置づけ
1941年に刊行された大著「Klaviermusik」は、2手・4手のピアノ音楽史を丹念にたどった研究書ですが、この中でも付録を中心に片手作品についてある程度の記述がされています。Einhändig巻末の「作曲史概観」も、こうした歴史研究の蓄積を踏まえて書かれたもので、ゲオルギイにとって片手ピアノは、特殊なジャンルとして切り離して語られるものではなく、ピアノ音楽全体の歴史の中に位置づけられるべき対象だったことがうかがえます。
第5版(1976年)が現在の参考資料で、初版の1941年版は未確認ですが、「第二次世界大戦期以前の左手作品観」を知る資料になるでしょう。今後、初版との比較ができれば、例えば次のような点を検討できます:
・1941年版には掲載されていない作曲家が、1976年版では追加されている
・作品数がどれだけ増えたか
・解説の書き方が変わったか
こうした差分は、左手音楽の受容史を考えるうえで興味深いテーマになります。
‣ 4冊を通して見えてくるもの
こうして4つの著作を並べてみると、ゲオルギイの片手音楽に対する姿勢には、いくつかの一貫した軸があるように感じられます。
一つは、片手ピアノを名人芸のためのジャンルではなく、演奏する喜びそのものを味わうための音楽として捉えていること。難曲を集めることより、弾く人が音楽と向き合えることを優先する姿勢は、曲集の選曲からも、演奏アドバイスの細やかさからも一貫して感じられます。とりわけ手の負担が問題となりやすい片手音楽において、この姿勢は大きな意味を持つでしょう。
もう一つは、対象を演奏会用の名手だけに限定していないこと。けがで一時的に片手が使えなくなったピアニストから、生まれつきや病気で片手しか使えない子供たちまで、それぞれの状況に応じた具体的な対処法や道筋が示されており、片手ピアノという営みを幅広い当事者に開かれたものとして扱っています。
そして最後に、こうした実践的な助言の背景には、歴史研究や編曲技法の考察という学術的な裏付けが常に存在していることも見逃せません。技術(作曲、編曲、演奏)・レパートリー・歴史という3つの視点を行き来しながら片手ピアノを論じ続けた点にこそ、ゲオルギイという音楽家の一貫した姿勢が表れていると言えるのではないでしょうか。
► 終わりに
ゲオルギイは、片手音楽を「特殊な技巧」ではなく、「より多くの人が音楽を楽しむための手段」として捉え、それを歴史・演奏・編曲・教育という複数の視点から支えようとしました。4冊を通読すると、そのような一貫した理念が浮かび上がってきます。
「片手で弾くピアノ曲集」や「ピアニストの手帖」のそれぞれの内容については、以下の記事でさらに詳しく紹介しているので、あわせてご覧ください:
・【ピアノ】ヴァルター・ゲオルギイ「片手で弾くピアノ曲集」レビュー:収録曲・難易度・資料としての価値
・【ピアノ】ヴァルター ゲオルギイ「ピアニストの手帖」レビュー(姉妹サイトへリンク)
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