【ピアノ】左手作品から読み解くカルクブレンナー:左手のための最初のフーガを遺した名ピアニスト

【ピアノ】左手作品から読み解くカルクブレンナー:左手のための最初のフーガを遺した名ピアニスト

► はじめに

 

フレデリック・カルクブレンナー(Frédéric Kalkbrenner, 1785–1849)という名前は、今日ではショパンとの関係で語られることの多い人物です。1831年、パリに到着したばかりのショパンはカルクブレンナーを訪ね、その指導を受けるよう勧められました。しかしショパンは彼を尊敬しながらも自らの才能を信じ、その申し出を丁重に辞退します。それでも両者の関係は良好で、ショパンは「ピアノ協奏曲 第1番 Op.11」をカルクブレンナーに献呈し、カルクブレンナーもまたショパン最初のパリ公演の実現に積極的に力を貸しました。

その同じ1831年、カルクブレンナーは「左手のための4声のフーガ」を世に出しました。エーデルやパターソンといった主要な片手作品事典では、「左手のために書かれた最初のフーガ」として記録されているこの作品を軸に、彼の人物像と音楽に迫ります。

 

► 左手作品から読み解くカルクブレンナー

‣ カルクブレンナーという人物

 

1785年、カッセルからベルリンへ向かう旅の途中で生まれたカルクブレンナーは、ドイツ系のフランスのピアニスト・教師・作曲家です。パリ音楽院でニコデルミとルイ・アダンにピアノを、カテルに和声法を師事し、その後ウィーンでハイドンの指導を受ける機会も得ました。帰国の途上でミュンヘン、シュトゥットガルト、フランクフルト・アム・マインで演奏会を開き、聴衆に強い印象を残しています。

1814年末にイギリス移住を決意してからの10年間は、ヨーロッパでもっとも流行のピアニストという評判を確立した時期でした。ロンドンに拠点を置くようになり、1825年から35年にかけてはパリ第一のピアニストとして名声の絶頂期を迎えます。カミーユ・プレイエルが「カルクブレンナーはクラーマーをしのぐほどです」と記した手紙はその当時の評価を物語っています。

教師としても引く手あまたで、当時のヨーロッパを代表するピアノ教師の一人として高い評価を受けていました。一方で、名声欲の強さや金銭への執着は同時代の批評でもたびたび指摘されており、音楽家としての評価と人格的な評判は必ずしも一致するものではありませんでした。プレイエルのピアノ製造会社の経営にも参画して財を築いたことからも、演奏家・教育者に留まらない実業家としての一面がうかがえます。

1831年には自ら考案した練習器具「ハンドガイド」を用いるためのピアノ・メソッド Op.108を出版しました。これは鍵盤に平行な水平レール上に前腕を乗せて演奏する形で、腕の動きを固定し指の独立性を高めることを目的とした器具です。腕を固定し、指の独立性を重視するという考え方こそが、カルクブレンナーの奏法の基本原理でした。

しかし1835〜36年頃から、ショパン、リスト、タールベルクといった新世代の台頭とともにその人気は陰りを見せ始めます。さらに痛風と神経障がいが健康を蝕み、1839年頃から公の演奏は事実上終わります。それでも教師・作曲家としての活動は亡くなる直前まで続けました。1849年6月10日、アンギャン=レ=バンで没。奇しくもショパンと同じ年に世を去っています。

 

‣ 左手作品を読む:左手のための4声のフーガ

 

譜例(PD作品、浄書ソフトで作成、1-8小節)

カルクブレンナー「左手のための4声のフーガ」1-8小節

作曲年:1831年頃(1831年出版)
演奏時間:約1分30秒
難易度:ツェルニー30番修了〜40番入門程度

 

全12曲からなる「メソッド Op.108」の第8曲。全2ページという小ぶりな規模で、左手のために書かれた最初のフーガとして記録されています。4声で書かれてはいるものの、各声部が独立して動くというよりは、和声的な響きを形成する書法が中心となっています。

レヴェンタールのアンソロジーに収録されていることで、比較的知られる楽曲となりました。

 

‣ なぜ、カルクブレンナーのこの作品が重要なのか

 

1831年という年は、カルクブレンナーにとって二つの意味で記憶される年です。一つはパリに到着したショパンと出会い、自らのメソッドによる研修を勧めた年。もう一つは、この「左手のための4声のフーガ」を世に出した年。

ベルガーのOp.12-9が「左手のために書かれ最初に出版された」ピアノ曲とすれば、カルクブレンナーのこのフーガは「左手のためのフーガとして最初の」作品です。短く、難しくはなく、必ずしもすべてが徹底した対位法で書かれているわけではない——それでも「最初」という歴史的事実が、この小品に左手ピアノ音楽史上の重要な位置を与えています

 

► 終わりに

 

現在では演奏される機会こそ多くありませんが、この小品は左手ピアノ音楽史の出発点の一つとして、今なお重要な価値を持ち続けています。

 

参考文献:

・「Piano Music for One Hand」(テオドール・エーデル 著)
・「One Handed」(ドナルド・L・パターソン 編)
・ニューグローブ音楽大事典「Kalkbrenner, Frédéric」の項

 

併読推奨記事

【ピアノ】「Piano Music for One Hand」(テオドール・エーデル 著)レビュー
【ピアノ】「One Handed」(ドナルド・L・パターソン 編)レビュー

 


 

► 関連コンテンツ

YouTubeチャンネル
・Piano Poetry
チャンネルはこちら

SNS/問い合わせ
X(Twitter)はこちら

 

コメント

タイトルとURLをコピーしました