【ピアノ】左手作品から読み解くブルーメンフェルド:ゴドフスキーに捧げられた1905年の左手練習曲

【ピアノ】左手作品から読み解くブルーメンフェルド:ゴドフスキーに捧げられた1905年の左手練習曲

► はじめに

 

フェリクス・ブルーメンフェルド(Felix Blumenfeld, 1863-1931)という名前は、左手のためのピアノ作品の文脈で触れられることの多い人物です。しかし「ブルーメンフェルドとはどんな人物なのか」と問われると、答えに詰まる方も多いかもしれません。

彼は指揮者・ピアニスト・作曲家・教師という四つの顔を持ちながら、そのいずれの分野においても評価されながらも歴史の表舞台からは退いてしまった19世紀末ロシア音楽人の一人です。

その彼が1905年に書き残したOp.36が、左手のためのレパートリーとして今日まで生き残っている理由を、人物と作品の両面から探ります。さらに、ゴドフスキーへの献呈から、シモン・バレル、レオン・フライシャー、ジェームズ・トッコ、そしてジョン・コリリアーノへとつながる、この一曲の後世への広がりにも注目します。

 

► 左手作品から読み解くブルーメンフェルド

 

ブルーメンフェルドのOp.36は、単独の作品として完結しているだけではありません。ゴドフスキーへの献呈から、後世のピアニストによる録音や演奏、さらにコリリアーノの作品にまでつながる、興味深い「音楽の継承史」を持っています。

「ブルーメンフェルド Op.36 をめぐる音楽の継承」を図で示したもの。

 

‣ ブルーメンフェルドとはどんな人物か

 

1863年4月19日(ユリウス暦では4月7日)、南ウクライナのヘルソン県コワリョーフカに生まれたブルーメンフェルドは、ペテルブルク音楽院でリムスキー=コルサコフに作曲を学びました。1885年の卒業後、母校であるペテルブルク音楽院の教壇に立ち、1897年には教授に就任しました。1918年まで同音楽院で教えています。

演奏家としては指揮者として広く認められ、1895年から1911年にかけてサンクトペテルブルクのマリインスキー劇場で指揮者を務めました。この間、リムスキー=コルサコフのオペラ「セルヴィリヤ」(1902年)、オペラ「見えざる街キーテジと聖女フェヴローニヤの物語」(1907年)の初演を指揮し、1899年には「トリスタンとイゾルデ」のロシア初演を行っています

人脈の面でも、アントン・ルービンシュタイン、リムスキー=コルサコフ、グラズノフ、ラフマニノフ、シャリアピンといった同時代の巨匠たちと深い関係にありました。ルービンシュタインの影響を受けた彼の演奏スタイルは、英雄的な輝きと叙情的な旋律を特徴とするものでした。ピアニストとしては、同時代の作曲家たちの作品を積極的に紹介し、リャードフからラフマニノフに至る友人・同時代人の作品を数多く初演したとされています。

教師としての功績も無視できません。1918年以降はキエフで音楽教育に携わり、1922年からはモスクワ音楽院で教鞭を執りました。その教授法はソ連の音楽教育に大きな影響を与えたとされます。門下生にはウラジミール・ホロヴィッツ、シモン・バレル、アレクサンドル・ガウクらが名を連ねています。さらに、彼は後のロシア・ピアノ教育を代表する教師ゲンリッヒ・ネイガウスの叔父でもありました。

作曲家としては、リムスキー=コルサコフの弟子として、ベリャーエフ・サークルを中心とする当時のロシア音楽界と関わりを持ちました。その作品には魅力的なピアノ書法が見られる一方、没後は長く演奏・紹介の機会に恵まれませんでした。ピアノ曲の作品が多く、ニューグローブ音楽大事典は、「創作主題による性格的変奏曲 Op.8」「変奏曲形式のバラード Op.34」および、「演奏会用練習曲 Op.24」を含むピアノ作品を特記しています。

 

‣ 左手作品を読む:左手のための練習曲 Op.36

 

譜例(PD楽曲、浄書ソフトで作成、1-2小節)

「ブルーメンフェルド Op.36 をめぐる音楽の継承」を図で示したもの。

作曲年:1905年
演奏時間:約6分
献呈:レオポルド・ゴドフスキー

 

ブルーメンフェルドの左手作品は、現在確認されている限り、この「左手のための練習曲 Op.36」1曲のみです。

1905年10月、ブルーメンフェルドはモスクワでレオポルド・ゴドフスキーと初めて出会いました。この時期に書かれたOp.36は、ゴドフスキーに献呈されています。ゴドフスキーはショパンの練習曲を左手のみで演奏できるように編曲するなど、左手の可能性を大きく広げたピアニストでした。そのため、この作品は単なる「左手で演奏できる練習曲」としてではなく、当時急速に拡張されつつあった左手のピアニズムを背景に生まれた作品として見ることができます。

作曲から13年後の1918年、ブルーメンフェルドは右半身の麻痺を患います。彼自身の身体に起きた出来事によって、1905年にゴドフスキーへ献呈されたこの作品は、後から振り返ると、きわめて特別な意味を帯びることになりました。

 

タイトルには「練習曲」とありますが、内容の充実度は純粋な指の練習曲の域を超えていると言えるでしょう。抒情的なメロディを軸に、そよ風のようになびく音型による伴奏が上下を包み込む構造が大部分を貫き、カデンツァ風のパッセージと対比的な中間部を経て、終結へと向かいます。

この作品は「左手だけで弾けるように書かれた練習曲」というだけではありません。ゴドフスキーという当時最高水準のヴィルトゥオーゾに献呈されたこと自体が、ブルーメンフェルドがこの作品を一つの本格的な演奏作品として構想していたことを物語っています。

 

さらにこの作品は、後世の重要な音楽家たちにも多大なインスピレーションを与えました。

例えば、前述したブルーメンフェルドの教え子であるシモン・バレルによるこの曲の録音は、後に右手の不調に悩まされた巨匠レオン・フライシャーが、左手用のレパートリーに活路を見出すきっかけとなりました(出典:An Anthology of Piano Music for the Left Hand Alone 編:Ruby Morgan)。

また、ジェームズ・トッコによるこの練習曲の演奏は、ジョン・コリリアーノの「幻想的練習曲」とも興味深い関係を持っています。トッコのために書かれたこの作品の第1曲は左手のみで始まりますが、そのような構成を採用するうえで、トッコによるブルーメンフェルドのOp.36の印象的な演奏が決定的な役割を果たしました。

 

今日では、左手独奏レパートリーを代表する作品の一つとして、複数のピアニストによって録音・演奏されています。特にシモン・バレルの録音によって広く知られるようになり、現在では左手作品を集めた録音では定番の一曲となりました。

 

この作品の音楽的な特徴については、【ピアノ】なぜ、ブルーメンフェルド「左手のための練習曲 Op.36」は春っぽく聴こえるのか でさらに詳しく取り上げています。

 

► 終わりに

 

ブルーメンフェルドが左手のための作品を書いたのは、Op.36の1曲だけです。しかしそれが書かれた1905年という年、ゴドフスキーという献呈相手、そして13年後に自らの右半身が麻痺するという運命——これらの事実が重なると、この作品は重要な一作として見えてきます。

 

参考文献:

・「Piano Music for One Hand」(テオドール・エーデル 著)
・「One Handed」(ドナルド・L・パターソン 編)
・「An Anthology of Piano Music for the Left Hand Alone」(Ruby Morgan 編)
・ニューグローブ音楽大事典「Blumenfeld, Felix」の項

 

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【ピアノ】「One Handed」(ドナルド・L・パターソン 編)レビュー

 


 

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