【ピアノ】片手作品から読み解くツェーザル・ホーホシュテッター:第一次世界大戦の負傷者へ捧げた名曲編曲集

【ピアノ】片手作品から読み解くツェーザル・ホーホシュテッター:第一次世界大戦の負傷者へ捧げた名曲編曲集

► はじめに

 

片手のためのピアノ作品を探しているとき、初級向けの左手でも右手でも弾ける片手小品は存在しますが、「名曲をどちらの手でも弾ける形に編曲した中級の曲集」というものはなかなか見つかりません。

ツェーザル・ホーホシュテッター(Cäsar Hochstetter, 1863–没年不詳)が1917年に出版した曲集「Album für das einhändige Klavierspiel(片手ピアノのためのアルバム)」は、そのような曲集の一つです。J.S.バッハ、ショパン、シューマン、レーガー、ジチーによる8曲を収めており、第8曲以外のすべての曲に左手用と右手用の両方の運指が記されています。献呈先は「Den Verwundeten(第一次世界大戦の負傷者へ)」——この一行が、この曲集が生まれた背景を静かに物語っています。

 

※本記事では、技術的な目安としてツェルニー30番後半〜40番程度を「中級」として扱います。

 

► 片手作品から読み解くツェーザル・ホーホシュテッター

‣ ホーホシュテッターという人物

 

1863年1月12日、ドイツのマンハイム近郊ラーデンブルクに生まれたホーホシュテッターは、オルガニスト、作曲家、編曲家、批評家として活動しました。ユダヤ系の家系に生まれたとされます。ライプツィヒ(1889年)、ヴィースバーデン(1901年)、チューリヒ(1907年以降)と、ドイツとスイスを行き来しながら仕事を続けました。

作曲家・評論家として活動したホーホシュテッターを語るうえで、マックス・レーガーとの関係は特筆すべきものです。ホーホシュテッターは1898年に音楽誌に「マックス・レーガー再論(Noch einmal Max Reger)」という記事を寄稿し、若き作曲家レーガーを「非常に才能ある若い作曲家」として出版社に推薦しています。その縁から、レーガーはOp.25とOp.34をホーホシュテッターに献呈しました。こうした関係は、この曲集にレーガーの作品が3曲も収録されていることにもつながっているのでしょう。

また、「左手単独、または両手でも演奏できるピアノのための練習曲集 Op.113」で知られるヨーゼフ・ラインベルガーとも文通していたことが伝わっています。

ホーホシュテッターはカエサル・アールシュテラー(Caesar Ahrlsteller)というペンネームでも知られていました。1901年にはブダペストでのゲザ・ジチーの演奏会についての肯定的な批評をライプツィヒの音楽週刊誌に掲載しており、後にこの曲集にジチーの作品が収録されたこととも、何らかの関係があった可能性があります。

ホーホシュテッターは1928年にダルムシュタットへ移住し、1940年までは同地の住所録でその所在が確認されています。その後の消息については、現在も確定的な没年・没地が知られていません。

 

‣ この曲集の特別な価値

 

どちらの手でも演奏できる片手のための中級編曲集は、片手ピアノのレパートリーの中でも数が少ない分野です。中級水準で名曲の編曲として成立しており、しかも左右両方の運指が記されているという曲集は、現在でも多くはありません。J.S.バッハ、ショパン、シューマン、レーガー、ジチーという選曲の幅広さも、この曲集の強みの一つです。

さらに、この曲集が1917年という第一次世界大戦のさなかに出版されたことも重要な文脈を与えています。軍人はもちろん、それ以外にも戦争での負傷によって手や腕の自由を失った人は多くいました。片手用作品には左手用のものが多く見られますが、負傷するのは必ずしも右手とは限りません。したがって、あえてどちらの手での演奏にも対応できるようにしたのでしょう。「Den Verwundeten(負傷者へ)」という献呈と、左右どちらの手でも演奏できる構成を合わせて考えると、負傷後もピアノ演奏を続けられるよう配慮した曲集だった可能性が考えられます

 

‣ 収録曲一覧

 

番号 作曲家 原曲
1 J.S.バッハ 平均律クラヴィーア曲集 第2巻 第12番 BWV881 より プレリュード
2 ショパン プレリュード Op.28-4
3 ショパン プレリュード Op.28-6
4 シューマン アルバムの綴り Op.124-11「ロマンス」
5 レーガー 「葉と花」12のピアノ曲 より「アルバムの綴り」
6 レーガー 「葉と花」12のピアノ曲 より「ユモレスク」
7 レーガー 「葉と花」12のピアノ曲 より「ロマンス 第1番」
8 ジチー 愛の夢 幻想曲

 

‣ 各曲を読む

· ① バッハ:平均律クラヴィーア曲集 第2巻 第12番 BWV881 より プレリュード(片手版)

 

譜例(PD作品、浄書ソフトで作成、1-5小節)

バッハ=ホーホシュテッター「平均律クラヴィーア曲集 第2巻 第12番 BWV881 ヘ短調 より プレリュード」1-5小節

Bach, Johann Sebastian(arr. Hochstetter)/ Präludium. Elegie. Aus dem 2. Teile des Wohltemperierten Klaviers

難易度:ツェルニー40番修了程度 演奏時間:約4分30秒

 

原曲のプレリュードを全体的に忠実になぞりながら、音域を下方に大きく広げ、ダイナミクスの指示を随所に書き加えた編曲で、ロマン派的な解釈の色合いが強く感じられる仕上がりになっています。曲の最後の2小節には原曲にないフェルマータとAdagioのテンポ指示が加えられており、フーガを伴わずこのプレリュード単体で完結した作品として成立させる意図がうかがえます。

 

· ② ショパン:プレリュード Op.28-4(片手版)

 

譜例(PD作品、浄書ソフトで作成、1-4小節)

ショパン=ホーホシュテッター「プレリュード Op.28-4」1-4小節

Chopin, Frédéric(arr. Hochstetter)/ Präludium. Aus Op.28: 24 Präludien (Nr. 4).

難易度:ツェルニー30番修了〜40番入門程度 演奏時間:約2分

 

原曲のメロディが1オクターヴ低く移され、和音伴奏も低音域に密集した配置になっているため、全体の重心が原曲よりも下がり、重々しい響きになっています。旋律より高い音域で伴奏が鳴る場面が多く、最上声部でメロディが歌われる原曲とは響きの構造が異なります。調性・小節数はそのまま。

 

· ③ ショパン:プレリュード Op.28-6(片手版)

 

譜例(PD作品、浄書ソフトで作成、1-4小節)

ショパン=ホーホシュテッター「プレリュード Op.28-6」(片手のための)1-4小節

Chopin, Frédéric(arr. Hochstetter)/ Präludium. Aus Op.28: 24 Präludien (Nr. 6).

難易度:ツェルニー30番修了〜40番入門程度 演奏時間:約1分50秒

 

原曲のOp.28-6は左手がメロディを担う構成を持つ両手作品ですが、本編曲では右手パートの和音を間引くなどして片手演奏を実現しています。音の選び方以外は原曲にかなり近い仕上がりで、発想標語などの独自の書き加えはほとんどありません。音程の広いアルペッジョが含まれており、一定の手の大きさが必要です。調性・小節数は原曲どおり。

 

· ④ シューマン:アルバムの綴り Op.124 より 第11曲 ロマンス(片手版)

 

譜例(PD作品、浄書ソフトで作成、1-3小節)

シューマン=ホーホシュテッター「アルバムの綴り Op.124 より 第11曲 ロマンス」1-3小節

Schumann, Robert(arr. Hochstetter)/ Romanze. Aus Op.124: Albumblätter, 20 Klavierstücke

難易度:ツェルニー40番中盤程度 演奏時間:約1分40秒

 

多少の補筆は加えられているものの、原曲の雰囲気はしっかりと保たれています。主要な旋律がオクターヴで奏される場面があり、比較的多くの跳躍が現れる点が技術的な難所となっています。

 

· ⑤⑥⑦ レーガー:「葉と花」12のピアノ曲による3曲(片手版)

 

譜例(PD作品、浄書ソフトで作成、ロマンス 第1番 1-4小節)

ホーホシュテッター編曲『「片手ピアノのためのアルバム」より、マックス・レーガー「葉と花」12のピアノ曲による3曲』1-4小節

Reger, Max(arr. Hochstetter)/ Aus »Blätter und Blüten«, 12 Klavierstücke

ホーホシュテッターとレーガーの関係を考えるうえでも興味深い3曲です。レーガー作品の片手編曲という点でも珍しい選択と言えるでしょう。

⑤ アルバムの綴り(発想記号:Zart bewegt.、約50秒、ツェルニー40番中盤程度)
全22小節という短い作品。旋律の音と音の間を埋めるように内声が発音していく書き方が特徴的です。

⑥ ユモレスク(発想記号:Lebhaft und leicht.、約2分、ツェルニー40番中盤程度)
軽快な部分と歌うような部分の対照が魅力的です。右手用と左手用でossiaを使い分ける興味深い記譜が見られます。

⑦ ロマンス 第1番(発想記号:Langsam und ausdrucksvoll.、約2分30秒、ツェルニー40番中盤程度)
情感豊かなロマンス。6度音程の連続が随所に現れ、サウンド上の特徴になっています。

 

· ⑧ ジチー:愛の夢 幻想曲(片手版)

 

譜例(PD作品、浄書ソフトで作成、1-6小節)

ホーホシュテッター編曲「片手ピアノのためのアルバム」より、ジチー「愛の夢」1-6小節

Zichy, Géza(ed. Hochstetter)/ Liebestraum. Fantasie

難易度:ツェルニー40番修了程度 演奏時間:約5分

 

左手のピアニストとして知られているジチーの作品を、ホーホシュテッターが片手演奏用に整えたもので、本曲集中唯一、まったく運指が指示されていない編曲です。

ただし、主部以降の楽譜上は両手用の作品かと思うほどの風貌で、両手演奏の作品と同じように「離れた旋律・バス・ハーモニーを同時に鳴らそう」とする書法になっているため、音楽として最も大切な「自然な拍感」が乱れてしまう書法であり、筆者には、本曲集の他の編曲と比べて、音楽的な自然さを保つ点で難しさの残る編曲に感じられます。

 

► 終わりに

 

ホーホシュテッターという名前は、今日ではほぼ忘れ去られています。しかし彼がこの曲集に込めた発想——左右両方の運指を収録し、中級の名曲を片手で弾けるようにする——は、現在の視点から見ても合理的で、実用性をよく考えたものです。

1917年、大戦のさなかに「負傷者へ」と銘打って出版されたこの曲集は、演奏を続けたい人々の願いに応えようとした一人の音楽家の仕事だったのかもしれません。ホーホシュテッター自身も、ナチス期の迫害の中でその後の消息が不明となっていることを合わせて思うとき、この曲集は単なる教材を超えた重みを帯びています。

 

参考文献:

・「Piano Music for One Hand」(テオドール・エーデル 著)
・Max-Reger-Institut / Reger-WerkausgabeのCäsar Hochstetter人物項目
・IMSLPの「Album für das einhändige Klavierspiel」

 

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