【ピアノ】片手ピアノ音楽を知る手がかり:「THE GODOWSKY COLLECTION」Vol.3・Vol.4の巻頭解説

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【ピアノ】片手ピアノ音楽を知る手がかり:「THE GODOWSKY COLLECTION」Vol.3・Vol.4の巻頭解説

► はじめに

 

左手ピアノ音楽の歴史を語るとき、レオポルド・ゴドフスキー(1870-1938)の名前は避けて通れません。「ショパンのエチュードによる練習曲」に含まれる22曲の左手独奏版や、それよりもあとに書かれたオリジナル作品群は、いまも左手レパートリーの頂点の一角を占めています。

ところが、作品の知名度に比べると、その成り立ちや書法を日本語で詳しく知る機会は多くありません。そこで今回取り上げたいのが、アメリカのカール・フィッシャー社から刊行されている楽譜シリーズ「THE GODOWSKY COLLECTION」のうち、Vol.3とVol.4に収められた巻頭解説です。

楽譜集の前書きと聞くと数ページの挨拶文を想像しがちですが、この2冊は違います。各巻とも25ページを超える読み応えのある解説が付いており、ゴドフスキーの作風から左手作品の誕生の経緯、書法の工夫までが語られています。

本記事では、その中から、片手のための作曲・編曲に役立つ部分を中心に、読みどころを絞って紹介していきます。

 

THE GODOWSKY COLLECTION, Vol.3

副題:53 Studies on Etudes of Frédéric Chopin and Other Chopin Arrangements
編纂・解説:Millan Sachania(ミラン・サカーニア)
出版社:Carl Fischer
刊行年:2002年
言語:英語(ゴドフスキー自身の序文は独・英・仏の3か国語)
ページ数:445ページ、うち巻頭解説 約32ページ

 

THE GODOWSKY COLLECTION, Vol.4

副題:More Transcriptions, Arrangements and Original Compositions
編纂・解説:Millan Sachania(ミラン・サカーニア)
出版社:Carl Fischer
刊行年:2003年
言語:英語
ページ数:400ページ、うち巻頭解説 約26ページ

 

►「THE GODOWSKY COLLECTION」Vol.3・Vol.4の巻頭解説

‣ 解説の概要

 

両巻の編纂と解説を担当したミラン・サカーニアは、ケンブリッジ大学に提出した博士論文(1997年)で、ゴドフスキーの編曲作品を研究した人物です。各巻の巻頭には、サカーニアによる序論エッセイと伝記が置かれ、Vol.3にはさらにゴドフスキー自身による原典の序文も再録されています。

序論エッセイの冒頭部分は両巻で共通の総論になっており、そのあとに、それぞれの巻の収録曲に即した各論が続く構成です。脚注では、テオドール・エーデルの博士論文(1980年。のちの著書「Piano Music for One Hand」とは別のもの)やヒンソンの編曲作品ガイドも参照されており、本サイトで紹介してきた片手音楽の資料とつながってくるのも興味深いところでしょう。

 

‣ 総論:ゴドフスキーの作風を表すキーワード

 

総論では、ゴドフスキーの音楽スタイルが「安定性(stability)」「節度(discretion)」「素朴さ(naïveté)」という3つの言葉で整理されています。中でも、作編曲の視点から押さえておきたいのが「節度」です。

大胆な編曲で知られるゴドフスキーですが、実は原曲の素材や構造には意外なほど忠実でした。和声や響きの層は大きく作り変える一方で、原曲の骨組みや流れは保たれている。この「節度」は晩年になるほど前面に出てきた、とサカーニアは述べています。原曲をどこまで残し、どこから手を入れるか。編曲に取り組むうえで、常に考えさせられるテーマではないでしょうか。

 

► Vol.3で読めること:ショパンのエチュードによる練習曲

‣ 左手版はどのように生まれたのか

 

解説には、ゴドフスキー自身が着想の経緯を語った言葉も紹介されています。1893年、「三度のエチュード」の運指を工夫していたゴドフスキーは、その新しい指使いを左手にも試してみました。すると、右手よりも左手のほうが実験にすんなり応じることに気づいたといいます。そこから他のエチュードも次々と左手に移し替えていき、左手も右手と同じように難題に適応できる、という確信を深めていきました。

なお、発表当時の「練習曲」は批評家から激しい非難を浴びた一方、演奏会の聴衆からは熱狂的に迎えられています。左手独奏版がベルリンでの成功を支えたという証言も紹介されており、左手音楽の歴史を考えるうえで見逃せないエピソードです。

また、サカーニアは、左手という発想そのものは決して新しくなかったと冷静に指摘しています。19世紀の中頃には左手のための作品や編曲はすでに数多く存在していました。ゴドフスキーを特別な存在にしたのは、左手という発想ではなく、前例のない規模と体系的な取り組み、そして作品の個性と生命力だった、というわけです。

 

‣ 編曲技法の分類

 

ゴドフスキー自身は、53曲を次の5つのタイプに分類していました。

・厳格なトランスクリプション
・自由なトランスクリプション
・カントゥス・フィルムス版(原曲を一方の手に保ち、もう一方の手が自由に対旋律を紡ぐ)
・変奏曲形式の版
・メタモルフォーゼ(大胆な変容)

サカーニアはこれに加えて、表には挙がっていない重要な手法として、原曲の各層(バス、旋律、音型、内声)の配置を組み替えて織り直す「再配分」の技法を指摘しています。単に左右の手のパートを入れ替えるのではなく、響きの層そのものを組み直すという発想は、片手用の編曲を考えるうえでも大きなヒントになるはずです。

 

‣ 左手編曲の実践知:黒鍵の調への移調

 

片手のための作曲・編曲に取り組む方にとって、最も実用的なのがこの部分かもしれません。

左手だけで演奏していると、手を左右に大きく動かす場面がどうしても多くなります。跳躍した先で黒鍵にうっかり触れてしまわないよう運指を工夫するのは、左手演奏の大きな課題の一つでしょう。作曲や編曲の段階で、あらかじめ黒鍵を活かしやすい調を選んでおくというのは、この課題に対する有効な解決策で、多くの左手編曲で採用されてきた考え方と言えるでしょう。

その代表例がゴドフスキーでした。解説によれば、左手独奏版のおよそ半数が原曲とは異なる調に移されており、その多くは白鍵の調から黒鍵の調への移調です。

一見すると、わざわざ黒鍵の多い調にして難しくしているようにも思えます。ところが、サカーニアの見方は逆でした。主音と、できれば属音も黒鍵に来る調のほうが、左手の位置を把握しやすく、演奏はむしろ楽になる、というのです。

左手独奏では、一つの手でバス、旋律、伴奏などを同時に受け持つため、バス音を素早く打鍵しては離れる動作が頻繁に求められます。そのとき、黒鍵のバス音は白鍵よりも見つけやすく、手の「目印」になってくれるわけです。

 

‣ バス音と音型のタイミングをずらす

 

もう一つ、片手での創作に役立つのが、和声をはっきりさせるためのタイミングの工夫です。

原曲の音型を左手が受け持つ場面では、その音型の入りをわずかに遅らせ、先に左手がバス音を打てるようにしている箇所がある、と解説では指摘されています。反対に、バス音のほうを拍からずらして鳴らしている箇所もあります。一つの手でバスと音型の両方を担うとき、すべてを拍の頭に揃えようとすると無理が生じます。どちらかを少しずらすことで、和声の土台を示しつつ、音型の流れも保てるというわけです。

この考え方は、後述するVol.4の晩年の左手作品にも通じるものです。

 

‣ ゴドフスキー自身の序文も読める

 

Vol.3には、1914年の原典版に付けられたゴドフスキー自身の序文も再録されています。中でも「左手独奏のための練習曲についての特記事項」は、左手に関心のある方には必読と言えるでしょう。

ここでゴドフスキーは、左手は右手より育てにくいという通説に反論し、それまでの左手作品の多くが、単純な旋律の周りに分散和音を巡らせただけの名人芸にとどまっていたことを批判しています。左手にも、現代の作曲が獲得した多声性や和声、音色の豊かさを担わせたい。その意図が、22曲の左手独奏版の根底にありました。

 

► Vol.4で読めること:晩年の左手作品

‣ 1928年の再出発

 

しばらく左手作品から離れていたゴドフスキーが再び筆を執ったのは1928年のことです。右腕を失ったピアニスト、パウル・ヴィトゲンシュタインのために「宝石のワルツの主題による交響的変容」に取りかかったのをきっかけに、左手作品が堰を切ったように生まれました。

・左手のための6つのワルツポエム
・左手のための組曲
・左手のための前奏曲とフーガ(B.A.C.H.)
・「瞑想曲」「エチュード・マカーブル」「間奏曲」「悲歌」「カプリッチョ」などの小品

Vol.4には、これらの作品がまとめて収録されています(「宝石のワルツの主題による交響的変容」も含む)。いくつかの曲には両手版も存在し、左手版と並べて掲載されているのも、この巻ならではの特徴です。同じ曲の左手版と両手版を見比べられるのは、片手用の書法を学ぶうえで非常に貴重な機会と言えるでしょう。

なお、「宝石のワルツの主題による交響的変容」は、経済不況の影響などで出版が延び、世に出たのはゴドフスキーの死後のことでした。その経緯も解説の中で詳しく語られています。

 

‣ 後期の左手作品に見られる書法

 

左手だけで、ピアノをまるで両手で弾いているかのように響かせる。ゴドフスキーのこうした狙いは、言ってみれば「聴覚上の錯覚」を生み出すことでした。解説では、晩年の左手作品に共通するその仕掛けが整理されています。

・ダンパーペダルが「もう一方の手の代わり」と言えるほど重要な役割を担う
・伴奏型が鍵盤上を自由に行き来できるよう、和声音や和音を拍の直前・直後にずらして鳴らす
・伴奏型を、その時々の旋律と同じ音域へ移す
・親指を横に滑らせて旋律を弾き、指をくぐらせたり越えさせたりする
・最小限の音で多声的に聴かせる、経済的な対位法(ゴドフスキー自身、バッハの無伴奏ヴァイオリン・チェロ作品の対位法に近いと述べている)

また、ゴドフスキーは、左手は鍵盤に対して「より恵まれた位置」にあると考えていました。強い指で旋律を弾けること、そして響きの豊かな低音域を受け持てることが、その理由です。

さらに、サカーニアはゴドフスキーの左手の語法と運指を模した譜例まで自作して掲載しており、三度を3・4の指でとる運指がゴドフスキーの左手書法の特徴だ、とも指摘しています。実際に作編曲をする方には、具体的なヒントになるでしょう。

なお、こうした左手の書法については、ゴドフスキー自身も論考「Piano Music for the Left Hand」(Musical Quarterly、1935年)を発表しており、解説でもたびたび引用されています。さらに深く調べたい方は、こちらもあわせて当たってみるといいでしょう。

 

► 両巻から見える後期のスタイル

 

年を重ねたゴドフスキーは、初期の編曲に見られた技巧的な派手さを控え、原曲の旋律や構造を崩すことに慎重になっていきました。グリッサンドやカデンツァ風の音型といった名人芸的な効果も、次第に避けるようになります。

そのかわりに力を注いだのが、原曲の骨組みを保ったまま、和声や声部の「内装」を刷新することでした。Vol.3の解説では、1920年代のショパンのワルツ編曲を例に、次のような特徴が挙げられています。

・倚音を用いた変化和音で、原曲の響きに半音階的な彩りを加える
・新たな保続音(オルゲルプンクト)を加えて、和声に陰影をつける
・フレーズや楽節の終わりで、それまでの厚い響きをいったん2つの声部だけに絞り、その2声が半音ずつ動きながら絡み合う形で締めくくる

前半で触れた「節度」というキーワードが、晩年になるほど作品の前面に出てくる様子がよく分かります。この考え方は、片手のための作曲・編曲にとっても重要な引き出しになります。

 

► 作曲・編曲に活かせるポイント

 

最後に、片手のための作曲や編曲に取り組む方に向けて、両巻の解説から実践に役立つ視点をまとめておきます。

・左手用に編曲する際は、主音と属音が黒鍵に来る調への移調を検討する
・左右のパートを入れ替えるだけでなく、バス、旋律、音型、内声の配置そのものを組み直す
・バス、旋律、伴奏を一つの手で担うことを前提に、ペダルを「もう一方の手」として設計する
・伴奏型が鍵盤上を妨げなく行き来できるよう、必要に応じてバス・和声音・和音を拍の直前・直後にずらす
・伴奏型を、その時々の旋律と同じ音域へ移す
・音数を増やすのではなく、少ない音で多声的に聴かせる対位法も検討する
・原曲の骨組みは保ち、和声や声部の「内装」で個性を出す視点も併せ持つ

いずれのポイントも、実際にゴドフスキーの楽譜を開いて確かめられる。それが、この2冊の強みです。

 

片手のための編曲の基本的な考え方や手順については、こちらのガイドもあわせてご覧ください。

【ピアノ】左手編曲のテクニック 完全ガイド(右手編曲にも応用できる内容)

 

► こんな方におすすめ

 

・ショパン=ゴドフスキーの左手独奏版や、後年の左手作品に取り組んでいる方
・片手のための作曲・編曲の技法を、具体的な作品から学びたい方
・左手ピアノ音楽の歴史を、一次資料に基づいた記述で深く知りたい方

なお、解説はすべて英語で、学術的な文体で書かれています。脚注も多いため、気になるテーマの箇所から拾い読みしていくのがいいでしょう。

 

► 本書の入手方法

 

どちらの巻も輸入楽譜です。在庫状況は変動するため、購入の際は巻数(Vol.3、Vol.4)をよく確認してください。

 

Vol.3

 

Vol.4

 

 

► 終わりに

 

「THE GODOWSKY COLLECTION」のVol.3とVol.4は、楽譜集でありながら、ゴドフスキーと左手ピアノ音楽をめぐる研究書としても読める稀有な資料でした。

着想から100年以上を経たいまでも、ショパン=ゴドフスキーの左手独奏版は、多くのピアニストにとって最高峰の挑戦であり続けています。その音楽が、運指を工夫するという小さな実験から始まり、批判と熱狂の両方にさらされながら形になっていったこと。そして晩年、左手のための作品が再び次々と生まれたこと。こうした背景を知ったうえで楽譜を開くと、一つひとつの音の見え方が変わってくるはずです。

本記事で紹介したのは、解説のごく一部に過ぎません。演奏する方も、作編曲に取り組む方も、まずは興味のある巻の解説から手に取ってみてはいかがでしょうか。

 

ゴドフスキーについてさらに詳しく知る

・【ピアノ】左手作品から読み解くゴドフスキー:「左手の使徒」が遺した作品群
・【ピアノ】なぜ、ゴドフスキーは左手のピアニストにならなかったのか
・【ピアノ】ゴドフスキー左手オリジナル作品入門:最初に挑戦したいおすすめ3曲
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この記事を書いた人
タカノユウヤ

左手・片手のためのピアノ音楽を専門とし、作曲・編曲、講演などを行っています。また、当サイト「One-Hand Piano Institute」を運営し、作品・作曲家・音楽史・技術(作曲・編曲・演奏)・楽譜・文献まで、片手で演奏するピアノ音楽を多角的に紹介しています。

日本音楽コンクールをはじめ、国内外の作曲コンクールで受賞歴を持ち、これらの受賞作品はいずれも、左手ピアノを編成に含むアンサンブル作品、および、左手のためのピアノ独奏作品です。
また、大学院では左手のためのピアノ音楽における作曲・編曲をテーマに研究し、首席で修了しています。

右手の負傷をきっかけに出会った左手のためのピアノ音楽に心惹かれ、以来15年以上、この分野に取り組んできました。左手音楽の魅力と可能性を、より多くの方に知っていただけたら嬉しく思います。

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