【ピアノ】左手音楽から読み解くデヴィッド・サパートン

【ピアノ】左手音楽から読み解くデヴィッド・サパートン

► はじめに

 

ゴドフスキーが残した、左手だけで演奏するための超絶技巧作品。その音楽を録音という形で後世に伝えた重要なピアニストの一人が、デヴィッド・サパートンです。

サパートンは、ゴドフスキーの長女ヴァニタと結婚したピアニストであり、義父の膨大な作品群を深く研究し、演奏しました。とりわけ、ショパンの練習曲を素材に書かれたゴドフスキーの「ショパンのエチュードによる練習曲」は、彼のピアニズムと左手音楽との関わりを考えるうえで欠かせない作品群です。

本記事では、サパートンの生涯をたどりながら、ゴドフスキーの左手作品との関わりと、録音を通じて今日に伝えられた演奏の価値を読み解いていきます。

 

► 生涯と左手音楽との関わり

‣ 生い立ちとゴドフスキーとの出会い

 

サパートンは1889年10月29日、ペンシルベニア州ピッツバーグに、デヴィッド・サピルスタインという名で生まれました。6歳でピアノを始め、神童として頭角を現し、10歳で地元ピッツバーグでの公開演奏デビューを果たしています。15歳でニューヨーク・デビューを飾った後、ヨーロッパに渡ってアウグスト・シュパヌートに師事し、ベルリンではフェルッチョ・ブゾーニのマスタークラスにも参加したとされています。

アメリカに帰国後、サパートンはレオポルド・ゴドフスキーと出会います。この出会いは彼のピアニズムに大きな影響を与えたとされ、後にゴドフスキーの長女ヴァニタと結婚することになります(結婚年については、資料により1921年・1924年と記載が分かれています)。義父となったゴドフスキーは、サパートンをピアニストのヨーゼフ・ホフマンに紹介し、これが縁でサパートンはカーティス音楽院のピアノ科教授に迎えられました。長年ホフマンのアシスタントを務めながら教壇に立ち、その門下からはシューラ・チェルカスキー、ホルヘ・ボレット、アビー・サイモン、シドニー・フォスター、シーモア・リプキンといった、後に名を成す名ピアニストたちが育っています。

後にカーティス音楽院を去った経緯は、必ずしも平穏なものではなかったようです。1993年発売のVAI/IPA盤CDのブックレットに収められた、シドニー・フォスターによる解説(1977年執筆)には、ホフマンが不本意な形で学院を去った後、院長のメアリー・ルイーズ・カーティス・ボクは方針を改め、サパートンも他の「ホフマン派」の教員とともに職を解かれた、と記されています。

以後はニューヨークを拠点に、演奏に軸足を置いた生活を目指したものの、実際には個人教師としての仕事が中心であり続けました。その門下からはジュリアス・カッチェンやウィリアム・マッセロスらが育っています。カーティスを去った直後に行われたRCAビクターのための録音は、彼の気を紛らわせ、絶望から救い出す支えになったといいます。もっとも、その成果となるはずだったアルバム(ショパン=ゴドフスキーの練習曲集)は、円熟期の演奏を収めていたにもかかわらず戦時中の事情で発売中止となりました。フォスターによれば、サパートンはこの落胆から最後まで完全には立ち直れなかったといいます。

 

‣ 左手音楽との接点:「ショパンのエチュードによる練習曲」

 

サパートンと左手音楽とのもっとも重要な接点は、義父ゴドフスキーが1894年から1914年にかけて創作した「ショパンのエチュードによる練習曲」です。

この曲集のうち、22曲は左手のみで演奏されるように書かれています。その要求される技巧の高さから、全曲が広く演奏されるレパートリーにはなりにくく、録音によって作品に触れられる機会も限られていました。そうした状況の中で記録に残した演奏家の一人が、サパートンです。

1940年、RCAビクターのためにゴドフスキー作品を録音し、その中にはショパン=ゴドフスキーの練習曲10曲も含まれていました。このうち練習曲集は発売が見送られ、録音の原盤も第二次世界大戦中に金属供出のため溶解されたと伝えられています。その後1952年、Command Performanceレーベルのために11曲(1曲を追加)を再録音しました。この録音は、1957年にKapp Recordsのために行った録音(「トリアコンタメロン」「ジャワ組曲」など)とあわせて、1993年にVideo Artists International(VAI)からCDで復刻されています。

本記事で紹介するCDに収められた、1952年録音のゴドフスキー編曲による練習曲11曲のうち、左手のみで演奏される作品は「第13番(ショパンOp.10-6に基づく)」です。1980年代に本格化する「ゴドフスキー・リバイバル」に先立つこと数十年、義父の左手作品を弾き、録音し、記録として後世に残す意志と技量を持ち合わせていた演奏家は、当時サパートンをおいて他にほとんどいなかったとも言われています。

風が吹き抜けるかのような軽さを持ちながら色気のある表現が魅力的で、筆者自身、「第13番(ショパンOp.10-6に基づく)」の録音の中でいちばんお気に入りの演奏です。

1993年発売のVAI/IPA盤CDのブックレットに収められたシドニー・フォスターの解説(1977年執筆)によれば、Command Performance盤はほとんど流通しないうちに回収され、これまでに発売されたピアノLPの中でも屈指の稀少盤になったとされています。サパートンは後年、これらの録音の権利を自ら取得しており、インターナショナル・ピアノ・アーカイブ(IPA)はその遺産から権利の貸与を受けて再発を行っています。

 

‣ サパートンは左手作品を作曲していたのか

 

現時点で確認できる資料を調査した限りでは、サパートン自身が「左手のための」作品として作曲した記録は見つかりませんでした。

彼自身も作曲家として活動しており、ブギウギ様式によるピアノ小品をいくつか手がけたほか、ガーシュウィンの「ベス、ユー・イズ・マイ・ウーマン・ナウ」をゴドフスキー風の凝った書法でパラフレーズした作品も残しています(こちらはピアニストのジェニー・リンによって録音されています)。もっともよく知られる自作は、1936年に出版された「ゼファー(Zephyr)」です。ただし、これらはいずれも両手用の作品であり、左手独奏として書かれたものではありません。

サパートンの左手音楽への貢献は、主として演奏家・記録者としての仕事にあります。義父ゴドフスキーの左手作品を実際に演奏し、録音として残したことは、彼の活動を評価するうえで重要な意味を持っています。

 

‣ 最後まで衰えなかった情熱

 

癌で亡くなる二週間前、サパートンは少人数の弟子や友人の前で、プロコフィエフ「トッカータ」、覚えたばかりのバーバー「ピアノソナタ」、ラヴェル「夜のガスパール」、リスト「鬼火」を弾いたといいます。居合わせた人々は、彼の若々しい生命力と、なお衰えぬ技巧に驚かされたと伝えられています。

1970年7月5日に亡くなる少し前、入院中のサパートンは病床から跳ね起き、杖で床を叩きながら「ばかげている!私にはやるべき仕事があるんだ!」と怒りの声を上げたといいます。これらの逸話を書き残したのは、サパートンの門下でもっとも名を知られた弟子の一人で、師が自分の生徒を託すほど信頼していたシドニー・フォスターでした。フォスター自身も、この原稿を書き上げた直後の1977年2月7日に世を去っています。演奏家・教育者としてゴドフスキーの音楽に生涯を捧げ、その左手作品も録音に残したサパートンらしい、最期まで音楽への情熱を失わなかった逸話と言えるでしょう。

 

‣「第13番(ショパンOp.10-6に基づく)」を聴けるCD

 

サパートンが演奏するゴドフスキーの「第13番」は、VAI Audioから発売された2枚組CD「David Saperton Plays Chopin and Godowsky」で聴くことができます。ショパンの練習曲全曲(原曲)と、ゴドフスキーによるショパン練習曲の編曲・変奏作品などを収録したアルバムです。

 

David Saperton Plays Chopin and Godowsky

 

・レーベル:VAI Audio / International Piano Archives(VAIA/IPA 1037-2)
・仕様:CD 2枚組(モノラル/ADD)、総収録時間 約138分
・発売:1993年
・復刻:ワード・マーストン(制作:グレゴール・ベンコ、ワード・マーストン)

 

収録内容

トラック 曲目 録音年
CD1(66:21)ショパン
1〜12 練習曲集 Op.10(全12曲) 1952年
13〜24 練習曲集 Op.25(全12曲) 1952年
25〜27 3つの新しい練習曲 1952年
CD2(72:23)ゴドフスキー
1〜11 ショパンのエチュードによる練習曲(11曲) 1952年
12〜16 「トリアコンタメロン(3拍子による30の気分と情景)」より5曲 1957年
17〜19 「ジャワ組曲」より3曲 1957年
20 アルベニス=ゴドフスキー:トゥリアーナ(「イベリア」より) 1957年
21 シュトラウス=ゴドフスキー:「こうもり」の主題による交響的変容 1952年
22 シュトラウス=ゴドフスキー:ワルツ「芸術家の生涯」による交響的変容 1952年

 

「第13番 変ホ短調(ショパンOp.10-6に基づく)」はCD2に収録されています。

このCDの楽しみ方の一つは、原曲と左手版を聴き比べられることです。CD1には、サパートンが両手で弾いたショパンの原曲「Op.10-6」が入っています。まず原曲を聴いてからCD2の第13番に移ると、ゴドフスキーの書き方やサパートンの解釈がよく分かるでしょう。

付属のブックレットには、この曲集についての解説と、本記事でも紹介したシドニー・フォスターによるサパートンの評伝がどちらも英語で載っています。

 

► 終わりに

 

デヴィッド・サパートンは、作曲家としてではなく、演奏家・教育者として左手音楽の歴史に足跡を残した人物です。サパートンが録音したゴドフスキーの左手作品は、現在CDで聴ける録音の中では第13番の1曲に限られますが、その演奏は今も名演として聴き継がれています。

 

参考資料・ウェブ資料

・David Saperton Plays Chopin and Godowsky — Booklet Notes by Sidney Foster (1977) | VAI/IPA (VAIA/IPA 1037-2)
・David Saperton papers | The New School Archives & Special Collections
・David Saperton Collection | Archival Collections, University of Maryland
・Godowsky: The Complete Studies on Chopin’s Études — Liner Notes | Hyperion Records
・David Saperton | Forte-Piano-Pianissimo

 

ゴドフスキーについてさらに詳しく知る

・【ピアノ】左手作品から読み解くゴドフスキー:「左手の使徒」が遺した作品群
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この記事を書いた人
タカノユウヤ

左手・片手のためのピアノ音楽を専門とし、作曲・編曲、講演などを行っています。また、当サイト「One-Hand Piano Institute」を運営し、作品・作曲家・音楽史・技術(作曲・編曲・演奏)・楽譜・文献まで、片手で演奏するピアノ音楽を多角的に紹介しています。

日本音楽コンクールをはじめ、国内外の作曲コンクールで受賞歴を持ち、これらの受賞作品はいずれも、左手ピアノを編成に含むアンサンブル作品、および、左手のためのピアノ独奏作品です。
また、大学院では左手のためのピアノ音楽における作曲・編曲をテーマに研究し、首席で修了しています。

右手の負傷をきっかけに出会った左手のためのピアノ音楽に心惹かれ、以来15年以上、この分野に取り組んできました。左手音楽の魅力と可能性を、より多くの方に知っていただけたら嬉しく思います。

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