【ピアノ】カルクブレンナー「左手のための4声のフーガ」演奏完全ガイド
► はじめに
楽曲について
| 曲名 | 作曲年 | 出版年 | 演奏時間 | 特徴 |
|---|---|---|---|---|
| 左手のための4声のフーガ (Fugue à quatre parties pour la main gauche seule) |
1831年以前(推定) | 1831年(資料により記載に差あり) | 約1分30秒 | 左手のみのための最初期のフーガとされる、簡潔な対位法による4声の作品 |
分類:オリジナル作品(独奏)
収録:「Piano Music for One Hand」(選曲・編集:レイモンド・レヴェンタール/G. Schirmer)
この作品は、全12曲からなる「メソッド Op.108」の第8曲です。左手のためのフーガとして最初期に位置づけられる作品で、1831年頃に出版されました(資料により記載に差あり)。正確な作曲時期は明らかではありませんが、出版時期から、1831年頃、あるいはそれ以前に書かれたと考えられます。
速いテンポで進む4声のフーガでありながら、対位法の書法自体はシンプルであるため、左手作品のなかでも比較的取り組みやすい一曲として親しまれています。
作曲者について
フレデリック・カルクブレンナー(Frédéric Kalkbrenner, 1785–1849)は、ドイツ生まれのピアニスト・作曲家・教育者です。パリ音楽院でピアノと和声を学び、ウィーンではハイドンの指導も受けました。
1814年末にイギリスへ渡って以降、演奏家として評価を高め、1820年代から1830年代にかけては、ヨーロッパの音楽界で大きな名声を得ました。パリではピアノ製造にも関わるなど、演奏・教育・作曲にとどまらない活動を展開しています。
1831年に刊行されたメソッド Op.108 では、前腕をレールの上に固定したまま指の独立を訓練する、自ら考案した器具「ハンドガイド」を紹介しています。腕を動かさず、指を独立させて弾く――この考え方こそが、彼の奏法の中心にありました。
その後、ショパンやリストら新しい世代の台頭とともに、演奏家としての存在感は相対的に薄れていきましたが、教育と作曲にも取り組み続けました。1849年6月10日、アンギャン=レ=バンで亡くなっています。
カルクブレンナーの人物像をさらに深く知りたい方は、【ピアノ】左手作品から読み解くカルクブレンナー:左手のための最初のフーガを遺した名ピアニスト もあわせてご覧ください。
演奏難易度
難易度:ツェルニー30番修了〜40番入門程度
本記事の使い方
本記事では、楽曲の構造を踏まえながら、要所となる小節ごとに演奏上のポイントを解説します。パブリックドメインの作品のため、必要な箇所には譜例も掲載しています。
実際の練習では、手元の楽譜と各セクションの解説を照らし合わせながら読み進めてください。運指・ペダリング・声部のバランス・強弱など、具体的な演奏上の判断を中心に取り上げます。
音名はドイツ音名で表記しています。
► 演奏のヒント
‣ 左手演奏の基本姿勢
左手だけで演奏する場合、両手で弾くときとは座る位置や姿勢を変えることが大切になります。
図(浄書ソフトで作成)

椅子の位置や姿勢の工夫について詳しくは、【ピアノ】左手演奏における座り方:椅子の位置と姿勢の工夫 で解説しています。
‣ 小節ごとの演奏ポイント
· 曲頭(1-4小節)の演奏
譜例(PD楽曲、浄書ソフトで作成、1-8小節)

主題のスタッカート:
・デコピンで弾くような、切れ過ぎたスタッカートは避ける
・かといって、音に重さが出てしまうのも禁物
・軽さを保ちながら、音の芯はしっかり残すバランスを探る
2小節目のポイント:
・1拍目はアクセントを際立たせるために、ダンパーペダルを短く踏む
・2拍目のA音のように、動き出しの最初の音は強くぶつけてしまいがちなので注意する
· 5-8小節の演奏
応答の登場:
・5小節目から応答が現れるが、下の声部にも耳を向けておく
・6小節1拍目も、アクセントを生かすためにダンパーペダルを短く踏む
・6小節目のFis音から7小節目のG音へのつながりを意識する
8小節目の運指と跳躍:
・2拍目のFis音は、5の指を越えて3の指でとる
・8小節目から9小節目へは多少の跳躍があるが、遅れずにインテンポで入る
· 9-12小節の演奏
声部のバランス:
・ソプラノに現れる主題を mf で最もよく聴かせる
・ほかの声部は一歩引いて、やや控えめに
ペダルと細部:
・10小節1拍目でも、アクセントを強調する短いダンパーペダルを
・10小節目最後のE音は、指遣いの関係でおろそかになりやすい箇所なので、音価と音色を最後まで丁寧に扱う
· 13-16小節の演奏
バスの応答:
・13小節目からはバスの応答が主役なので、mf でもっとも聴かせる
・それ以外の声部はやや抑えめに
・13小節1拍目のソプラノD音はフレーズの終わりに準ずる音のため、強く飛び出さないように
14小節目のペダリング:
・1拍目はダンパーペダルを短く踏み、響きが急にバサッと途切れないようにする
15-16小節のダイナミクス:
・楽譜では15小節目の頭に p と記されているが、ここではまだ mf を保つ
・15小節目全体を使ってデクレッシェンドし、16小節目の頭で p に到達させる
・こうすると、音楽の構造とダイナミクスが自然に噛み合う
· 17-22小節の演奏
嬉遊部とは:
17小節目から始まるのは「嬉遊部(きゆうぶ)」です。フーガにおいて、主題が提示される箇所の間をつなぐ、経過的な部分を指します。
・重たくならないよう、インテンポでさっと通り過ぎる意識を持つ
・17小節1拍目から付点4分音符ぶん、ダンパーペダルで響きを支える
解決音の扱い:
・19小節目や21小節目の頭は解決先の音
・強くぶつけないように注意する
21-22小節の運指:
・21小節目最後のF音は、3の指で弾くよう指示された楽譜もあるが、1の指でとるのも一つの選択肢
・22小節目の頭は「1 3」の運指で
· 23-30小節の演奏
主題の再登場:
・23小節目のソプラノF音は mf でしっかり鳴らす
・嬉遊部を抜けて主題が再び姿を現す場面なので、パッと明確に浮かび上がる印象がほしいところ
つなぎのペダル、および、アクセント位置の読み取り:
・24小節1拍目:ダンパーペダルを短く踏む
・25小節目:バスを強調
・26小節1拍目:ダンパーペダルを短く踏む
・27小節目:ソプラノを強調
・28小節1拍目:ダンパーペダルを短く踏む
・29小節目:ソプラノとバスを同じくらいの強さで強調
・30小節1拍目:ダンパーペダルを短く踏む
このように、アクセントがどの声部に書かれているのかを一つずつ丁寧に読み解くことが大切です。
30小節2-3拍目:
・やや弾きにくく、つい強くなってしまいがちな箇所
・直後に f が控えているので、ここではまだ抑えておく
· 31-36小節の演奏
31小節目の表現:
・31小節2拍目からは、完全にフレーズが改まる
・ただし、冒頭から「tempo giusto(正確な速さで)」と書かれており、正確に進んでいくのがこの楽曲の良さ
・したがって、2拍目の頭などで不自然な時間の使い方をせずに、そのままノンストップで先へ行く
譜例(33-36小節)

33小節目の運指:
・赤で示した和音のうち、本来重要なのは上側のA音のほう
・しかしここでは、2音まとめて1の指で弾くことになる
・せめて耳でしっかりと上声を聴き取るよう意識する
この箇所の指遣いについては、【ピアノ】左手演奏特有の問題と解決策 で詳しく取り上げています。
34-35小節の4分音符:
・指遣いの都合で、34小節1拍目や35小節1拍目の4分音符が短くなりやすい
・テヌートが付いているつもりで、音価を十分に保つ
36小節目の和音:
・頭の和音は直前からの跳躍があるため、ミスタッチが起きやすい
・鍵盤のやや手前で和音をつかみ、すぐに奥へ滑らせるとうまくいきやすい(手の大きさにもよる)
36小節目の臨時記号に注意:
・小節の頭にF音があるが、小節最後の音は別の声部に属する
・当時の記譜習慣と和声の流れから判断し、「Fis音」で弾く
· 37-40小節の演奏
ダイナミクスの対比:
・楽譜に記載はないが、37小節2拍目から39小節1拍目までを f で弾くのがおすすめ
・そうすることで、その後に来る p がコントラストによって引き立つ
· 41-47小節の演奏
41小節目からの声部の受け渡し:
・同じ音型が各声部の間でやりとりされる箇所
・それぞれのニュアンスをできるだけ揃えると、効果的に聴こえる
47小節目:
・記されたアーティキュレーションを大切にして表現する
· 48-57小節の演奏
48-50小節のアクセント:
・アクセントの付いた音は、パン!と明確に立ち上げる
・それによって変拍子のような効果が生まれるのが、この部分の面白さ
譜例(51-55小節)

51-55小節のペダリング:
・この部分のペダルの踏み方は、○で示したように1拍ごとに踏み替え、4声としての響きをできる限り保つ
詳しくは、【ピアノ】左手演奏特有の問題と解決策 にまとめているので、そちらを参考にしてください。
55-56小節の「H H C」:
・この3音は、直前のメロディを追いかける役割を持っている
・ある程度は聴かせるように意識する
· 58-62小節の演奏
譜例(58-62小節)

上昇する音の流れ:
・58小節目からは、上行していく音を意識する
・特定の一音だけが不自然に飛び出さないよう注意する
・ff からクレッシェンドしても音楽的な効果は得にくいため、58小節目の頭で subito p にするのも一つの方法
・楽譜上は、53小節目までに ff に達している
61小節目の音の分割:
・前からの流れを考慮し、譜例で赤く示した音は、アルペッジョにせず同時に弾く
詳しくは、【ピアノ】左手演奏特有の問題と解決策 をご覧ください。
· 63小節目からの演奏(コーダ)
譜例(63-67小節)

コーダとストレッタ:
・63小節目からはコーダに入り、ストレッタ(主題の追い込み)も登場
・最後は ff までクレッシェンドして締めくくる構成
・そこへ向けて十分な広がりをつくるため、66小節目の rall. はかなり大げさにかけても構わない
66小節目の演奏法:
・ここのトリルでは、実際にどのように弾くのかを楽譜に書き込んだうえで練習する方法が有効
具体的な弾き方は、【ピアノ】左手演奏特有の問題と解決策 をご覧ください。
譜例(66-67小節の奏法例)

3つのクライマックスの配分:
この曲には、53小節目、62小節目、67小節目と、山場が3回訪れます。
・すべてを同じように盛り上げてしまわない
・67小節目に真のクライマックスが来るよう、全体のダイナミクスを設計する
・前の2つの山場は、最後の頂点を生かすための布石と捉えるとよい
► 終わりに
左手のための4声のフーガは、演奏時間こそ短いものの、左手演奏に欠かせない要素が凝縮された作品です。どの声部が主役なのかを常に意識しながら練習を重ねれば、シンプルな対位法のなかに潜む立体的な響きが、はっきりと浮かび上がってくることでしょう。
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