【ピアノ】左手作品から読み解くルドルフ・ガンツ:左右を往還した多面的な音楽家
► はじめに
ルドルフ・ガンツ(Rudolph Ganz, 1877-1972)は、スイス・チューリッヒに生まれ、95歳でシカゴで没したピアニスト・指揮者・作曲家・教育者です。ブゾーニのもとでピアノを修め、ラヴェルやドビュッシーの作品をアメリカに紹介し、バルトークをはじめとする近現代の音楽にも積極的に取り組んだ先駆的な音楽家として知られています。一方、片手ピアノの世界とも複数の接点を持っていました。
本記事では、ガンツ自身が書いた左手・右手のための作品と、彼が関わったエミール・R・ブランシェの左手練習曲集を取り上げます。「左手作品の作曲家」としてではなく、片手音楽の裾野を広げた一人として、その多面的な関わりを見ていきます。
► 左手作品から読み解くルドルフ・ガンツ
‣ ルドルフ・ガンツという人物
1877年2月24日、チューリッヒに生まれたガンツは、少年時代にチェロとピアノの両方を学びました。チューリッヒ、ローザンヌ、ストラスブールで研鑽を積んだのち、ベルリンでフェルッチョ・ブゾーニに師事します。ローザンヌではシャルル・ブランシェ(Charles Blanchet)のもとで作曲も学んでおり、これが後述のエミール・R・ブランシェ(Emile-Robert Blanchet)との縁につながります。
1899年、ガンツはベルリン・フィルハーモニー管弦楽団と共演し、ピアニストとして注目を集めました。翌1900年にはアメリカへ渡り、シカゴ音楽大学(Chicago Musical College、現ルーズベルト大学)で教えるなど、以後の活動の重要な拠点をアメリカに置きました。1905年、シカゴでモーリス・ラヴェルの「水の戯れ」をアメリカ初演。ラヴェル自身が「夜のガスパール より スカルボ」をガンツに捧げてもいます。
セントルイス交響楽団の首席指揮者(1921-1927年)を経て、1934年から約20年にわたりシカゴ音楽大学の学長を務め、教育者としても長く活動しました。1972年8月2日、シカゴで95年の生涯を閉じました。
‣ 片手音楽との関わり
ガンツと片手音楽との接点は一本の線ではありません。自ら左手用と右手用の作品(Op.26)をペアとして出版する一方、作曲の師の息子であり、ブゾーニ門下の仲間でもあったエミール・R・ブランシェからは、左手のための練習曲集を献呈されています。さらに、マスタークラスでは片手演奏の指導にもあたりました。作曲家として、献呈を受ける演奏家として、そして指導者として、複数の回路から片手ピアノの世界に関わっていたのです。
· 片手演奏の指導:身体の使い方
ガンツのマスタークラスで左手作品を学んだOberon Smithの回想記(Piano Music for the Left Hand Alone, left-hand-brofeldt.dk 所収)には、片手演奏における身体の使い方についての指導が記されています。ガンツは、演奏しないほうの手を膝の上に置き、手のひらを身体のほうに向けるよう厳しく指示しました。肩を水平に保ちリラックスさせておくこと、ベンチ上での身体的な動作(いわゆるバレエムーブメント)を許さなかったことも記録されています。
‣ ガンツ自身の片手作品
· 左手独奏曲
※著作権保護期間中につき、譜例は掲載不可
カプリッチョ 第1番 Op.26-1(左手のための)
Capriccio No.1 for the left hand alone, Op.26 No.1
出版:1917年(G. Schirmer、ニューヨーク) / 難易度:ツェルニー40番修了程度 / 献呈:モリー・マーゴリーズ(Mollie Margolies)
右手用の第2番(Op.26-2)と対をなす作品。ガヴォット風の性格を持つ三部形式(G-dur—e-moll—G-dur)の小品で、外側のセクションは活気に満ちた楽想で、中間部ではテンポがゆったりと落ち着き、広い音域のアルペジオに包まれた内省的なメロディが顔を出します。
献呈先のモリー・マーゴリーズは、ガンツに師事したピアニストです。
· 右手独奏曲(参考)
※著作権保護期間中につき、譜例は掲載不可
カプリッチョ 第2番 Op.26-2(右手のための)
Capriccio No.2 for the right hand alone, Op.26 No.2
ガヴォットのテンポをとり、装飾音や半音階的な動きが随所に現れる、どこかおどけた諧謔味のある作品。ソステヌートペダルの指示があるのも特徴の一つで、中間部(Tranquillo)では対照的に落ち着いた表情を見せます。終結部では、最後の5小節でVivaceに転じ、一気に曲を閉じます。
ガンツは左手用と右手用の作品にそれぞれ番号を与え、対になる形で出版しました。片手作品を左手用だけに限定せず、右手用と並べて提示したことは、ガンツの片手音楽へのアプローチを考えるうえで注目に値します。
‣ ガンツが関わった作品たち
· ブランシェ「左手のための13の練習曲 Op.53」との縁
ガンツとエミール・R・ブランシェの関係は、二つの回路から説明できます。一つは師の縁です。ガンツはローザンヌで、エミールの父シャルル・ブランシェに作曲を学んでいます。もう一つはブゾーニ門下という共通の背景です。ともに1877年生まれの二人は、いずれもブゾーニのもとで研鑽を積んだ同門の仲間でした。
二人の交流は、早くから作品の献呈という形で表れています。ブランシェは1903年に「ピアノのための変奏曲 Op.6」をガンツに献呈しており、その献呈手稿はシカゴのニューベリー図書館が所蔵するガンツ旧蔵資料に残されています。それからおよそ30年後の1932年、「左手のための13の練習曲 Op.53」もガンツに捧げられました。四半世紀を超える交友が片手のための作品に結実したという点で、片手音楽の歴史を人物間の交流から見るうえでも興味深い事例です。
譜例(PD楽曲、浄書ソフトで作成、Op.53 第3曲 1小節目)

左手のための13の練習曲 Op.53
Treize études pour la main gauche seule, Op.53 / Emile-Robert Blanchet(1877-1943)
出版:1932年(Max Eschig、パリ) / 献呈:ルドルフ・ガンツ
20世紀前半の和声語法を反映した練習曲集で、対位法や変拍子などを取り入れた書法は工夫に富んでいます。片手でありながら豊かなテクスチュアを生み出す手法が随所に見られ、左手独奏作品における音響的・技術的な可能性を示す一集と言えるでしょう。
13曲の中でとくによく知られているのが第3番です。印象派的な浮遊感を持ち、rubatoの指示が細かく書き込まれた叙情的な小品で、演奏時間は約2分20秒、難易度はツェルニー40番修了程度です。
► 終わりに
ルドルフ・ガンツの片手音楽との関わりは、「左手ピアノ作曲家」という枠には収まりません。自身は左手用と右手用のカプリッチョを残し、エミール・R・ブランシェの「左手のための13の練習曲 Op.53」では献呈先となり、マスタークラスでは片手演奏の身体の使い方を指導しました。
ガンツの活動をたどると、片手ピアノ音楽は、左手のための作品を個別に集めるだけでなく、音楽家同士のつながりや、左右それぞれの手を対象とした作品の出版という観点からも捉えられることが分かります。
一人の音楽家の活動を通して、片手ピアノ音楽の広がりを別の角度から見ることができる。それが、ルドルフ・ガンツを取り上げる意義の一つでしょう。
参考文献:
・Edel, Theodore. Piano Music for One Hand. Indiana University Press, 1994.
・Patterson, Donald L. One Handed: A Guide to Piano Music for One Hand. Greenwood Press, 1999.
参考資料・ウェブ資料
・Piano Music for the Left Hand Alone(left-hand-brofeldt.dk)
・Rudolph Ganz Papers, Newberry Library, Chicago(Box 37, Folder 798)
併読推奨記事
本Webメディアの全記事への入り口となる総合ガイドです。入門・基礎知識、作品ライブラリー、楽曲別ガイド、技術・知識、作曲家シリーズ、参考文献・資料・レビューまで、目的別に記事をまとめています。
► 関連コンテンツ
YouTubeチャンネル
・Piano Poetry
チャンネルはこちら
SNS/問い合わせ
X(Twitter)はこちら


コメント