【ピアノ】パウル・ヴィトゲンシュタイン「Paul Wittgenstein: Plays Music For The Left Hand」レビュー
► はじめに
今回紹介するのは、片手のピアニストとして知られるパウル・ヴィトゲンシュタインが、左手のための作品を集めて演奏したアルバム「Plays Music For The Left Hand」です。1958年にPeriod Recordsからリリースされたこの一枚は、ヴィトゲンシュタインが1961年に亡くなる3年前に世に出た、晩年の貴重な録音です。
演奏:Paul Wittgenstein(パウル・ヴィトゲンシュタイン)
リリース年:1958年
レーベル:Period Records
総収録時間:約45分44秒
Paul Wittgenstein: Plays Music For The Left Hand
► 演奏者 パウル・ヴィトゲンシュタインについて
パウル・ヴィトゲンシュタインは1887年にウィーンで生まれたピアニストで、哲学者ルートヴィヒ・ヴィトゲンシュタインの兄にあたる人物です。第一次世界大戦中に右腕を失いました。それでもピアニストとしての道を諦めず、左手だけで演奏できるレパートリーを開拓していきました。
特筆すべきは、当時を代表する作曲家たちに次々と左手のための作品を委嘱していったことです。ラヴェルの「左手のためのピアノ協奏曲」はその中でも最も有名な例ですが、他にもリヒャルト・シュトラウス、プロコフィエフ、コルンゴルト、ヒンデミットなど、錚々たる顔ぶれに新作を依頼しました。すべてが演奏されたわけではなく、プロコフィエフの協奏曲のように本人の好みに合わず長らくお蔵入りになった作品もありますが、それだけ左手のレパートリーに対するこだわりが強かったことがうかがえます。
晩年には、3巻からなる「School for the Left Hand(左手のための教則本)」も1957年に出版しています。本アルバムのリリースはその翌年にあたり、ヴィトゲンシュタインが晩年まで左手のための教育・演奏活動に取り組んでいたことを示す資料としても興味深いものです。
► 収録内容の詳細
‣ 収録曲一覧
| No. | 曲名 | 作曲・編曲 | 収録時間 |
|---|---|---|---|
| 1 | Concerto For The Left Hand | 作曲:ラヴェル 指揮:マックス・ルドルフ メトロポリタン歌劇場管弦楽団 |
18:30 |
| 2 | Chaconne | 作曲:J.S.バッハ 編曲:ブラームス(ヴィトゲンシュタインによる再編作) |
14:29 |
| 3 | Meeresstille | 作曲:シューベルト 編曲:リスト(ヴィトゲンシュタインによる再編作) |
2:22 |
| 4 | Romanze | 作曲:マックス・レーガー 《Vier spezielle Studien》第3曲 |
3:57 |
| 5 | Prelude And Fugue | 作曲:マックス・レーガー 《Vier spezielle Studien》第4曲 |
6:26 |
‣ アルバムの特徴
ヴィトゲンシュタインによるラヴェル「左手のためのピアノ協奏曲」の録音は複数存在し、有名なものとしては1937年にブルーノ・ワルター指揮 / コンセルトヘボウ管弦楽団と共演した音源があります。今回のPeriod盤はそれとは別で、マックス・ルドルフ指揮 / メトロポリタン歌劇場管弦楽団との共演による、より後年のテイクにあたります。代表盤としてよく知られる1937年盤とは異なる、独自の演奏記録として存在価値を持っている一枚と言えるでしょう。
選曲の並びにも意図が感じられます。冒頭にラヴェルの左手協奏曲とバッハ=ブラームスのシャコンヌという、左手のレパートリーを代表する大曲を続けて配置し、聴き手にまず本作の看板演目を提示する構成になっています。続くシューベルト=リストの「Meeresstille」は演奏時間も短く、いわば大曲から後半のプログラムへつなぐ間奏曲のような役割を担っているように感じました。そして最後を締めくくるレーガーの「Romanze」と「Prelude And Fugue」は、もともと「左手のための4つの特別練習曲」という同じ曲集に含まれる2曲であり、まるで一組の作品のようにアルバムの終盤に続けて配置されています。
ヴィトゲンシュタインは多くの作曲家に左手のための作品を委嘱しましたが、このアルバムに収録されている委嘱作品はラヴェルの左手協奏曲だけです。
また、シャコンヌはバッハ=ブラームスの原曲をそのまま弾いているわけではなく、全編を通してヴィトゲンシュタイン自身の手による編作が加えられている点も見逃せません。音響的な厚みを補うための音の追加が中心ですが、ところどころ和声そのものに変更を加えている箇所も見受けられます。バッハ=ブラームス版のイメージを強く持ったまま聴くと、やや装飾過多に感じられる部分もあります。そのため、ここではバッハ=ブラームス版の再現を期待するというより、ヴィトゲンシュタイン独自の編曲として聴いてみるくらいの気持ちがちょうどいいかもしれません。
同様の傾向は「Prelude And Fugue」にも見られ、より低い音域の低音を加えるなど、原曲に手を入れている部分がいくつか確認できます。
‣ 演奏の印象
特に最初に収録されているラヴェルの協奏曲とシャコンヌの2曲では、現在の洗練された録音とはひと味違う、やや粗削りとも取れる音づくりが印象に残ります。とはいえ、その荒さは強い推進力と気迫となって演奏全体を貫いており、聴き手を引き込む力を持っています。
後半のレーガー作品になると雰囲気が一転し、特に「Prelude And Fugue」では、テンポの揺らし方がかなり自由になっていきます。楽譜通りに整えられた演奏というより、その場の呼吸で音楽が形づくられていくような趣があり、まるで初めて耳にする作品を聴いているかのような新鮮な感覚を覚えました。
► 終わりに
ラヴェルの左手協奏曲という大曲から、バッハ=ブラームス、シューベルト=リスト、レーガーまで、多彩な作品を収めた「Plays Music For The Left Hand」。そこには、単に左手で演奏できる作品を並べただけではなく、ヴィトゲンシュタインの委嘱作品や自身の編曲、彼が好んだレパートリー、そして晩年の演奏解釈が凝縮されています。
1958年、ヴィトゲンシュタインが亡くなる3年前にリリースされたこのアルバムは、彼が晩年にどのような音楽を選び、どのように左手のピアノ音楽を演奏していたのかを知るうえでも興味深い録音です。
現在の演奏とは異なる、20世紀半ばの「左手ピアノ」の一つの姿を知ることのできる、資料的価値の高い一枚と言えるでしょう。
Paul Wittgenstein: Plays Music For The Left Hand
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