【ピアノ】片手編曲版のC.P.E.バッハ「ソルフェッジョ ハ短調」:3つの編曲を比較
► はじめに
C.P.E.バッハの「ソルフェッジョ ハ短調 Wq 117/2 H220」は、片手ピアノのレパートリーとしても、しばしば取り上げられてきた作品です。もともとは両手を使って演奏する鍵盤楽器のための練習曲ですが、これまでに複数の編曲者が左手(あるいは片手)だけで演奏できる形にまとめ直しています。
本記事では、代表的な3つの版——A.R.パーソンズ編曲版、ヴァルター・ゲオルギイ編「片手で弾くピアノ曲集」収録版、ジョン・トンプソン編「FOR LEFT HAND ALONE Book Two」収録版——を取り上げ、それぞれの特徴を見比べていきます。同じ原曲から出発しながらも、編曲によって小節数や難易度、構成の考え方がかなり異なることに気づいていただけるのではないでしょうか。
※「Solfeggio(ソルフェッジョ)」は、「Solfeggietto(ソルフェジエット)という表記が用いられることもある
► 原曲について
原曲譜例(PD楽曲、浄書ソフトで作成、1-2小節)

原曲は全35小節、調性はハ短調(c-moll)で、演奏時間はおよそ1分前後です。テンポ指示はPrestissimoとかなり速く、全体を通して16分音符の流れるようなパッセージが続く、技巧的な鍵盤練習曲です。
► 3つの編曲版の特徴
‣ A.R.パーソンズ編曲版
譜例(PD楽曲、浄書ソフトで作成、1-2小節)

A.R.パーソンズ(Albert Ross Parsons)による編曲は、レイモンド・レヴェンタール編「Piano Music for One Hand:A COLLECTION OF STUDIES, EXERCISES AND PIECES」などに収められている版で、楽譜上にも明確に左手用編曲と記されています。
小節数は原曲と同じ全35小節で、調性もハ短調(c-moll)のまま。今回取り上げる3版の中では、もっとも難易度の高い編曲となっており、目安としてはツェルニー30番修了〜40番入門程度に相当するでしょう。テンポ指示はNon troppo vivo.で、運指・ペダリングともに丁寧に書き込まれています。音程の広いアルペジオが含まれる箇所もあり、手の大きさもある程度求められる編曲となっています。
楽譜などの詳細は、【ピアノ】レイモンド・レヴェンタール「Piano Music for One Hand」レビュー をご覧ください。
‣ ヴァルター・ゲオルギイ編「片手で弾くピアノ曲集」収録版
※著作権保護期間中につき、譜例は掲載不可
「片手で弾くピアノ曲集 オリジナル作品と編曲作品集」に収められている版です。誰が編曲を手がけたかは明記されていません。楽譜には片手用編曲と記されており、左右どちらの手でも弾ける想定で作られている点が一つの特色と言えるでしょう。
小節数は原曲より1小節少ない全34小節、調性はハ短調(c-moll)のまま保たれています。難易度の目安はツェルニー30番中盤程度で、テンポ指示は見られません。運指の記載はありますが、ペダリングの指示は見当たりません。おそらく、ペダルを使わない前提で書かれているのではないかと思われます。
手の大きさについてはそれほど要求されず、25小節目を除くと和音が登場する箇所もほぼありません。Parsons版でやや弾きにくく感じられる跳躍が、こちらではスムーズに処理されているのも興味深いところです。
楽譜などの詳細は、【ピアノ】ヴァルター・ゲオルギイ「片手で弾くピアノ曲集」レビュー:収録曲・難易度・資料としての価値 で紹介しています。
‣ ジョン・トンプソン編「FOR LEFT HAND ALONE Book Two」収録版
※著作権保護期間中につき、譜例は掲載不可
アメリカで刊行された「FOR LEFT HAND ALONE Book Two」に収録されている版です。こちらも編曲者がトンプソン本人であるとは書かれていません。
もっとも大きな違いは小節数で、原曲の最後の8小節部分をもとに、左手のアルペジオとレガート奏法を集中的に練習できる8小節のエチュードへと再構成されました。調性はハ短調(c-moll)のままですが、難易度は大きく下がり、ブルグミュラー25の練習曲中盤程度が目安になるでしょう。テンポ指示はAllegrettoで、原曲やほかの2版に比べるとゆったりした性格を帯びています。
運指は記載されている一方、ペダリングについては指示がなく、こちらもペダルを使わない前提だと考えられます。手の大きさもそれほど要求されません。
楽譜の冒頭には、この曲が左手のみのために編曲され、指のレガート(なめらかに弾く練習)のための優れた練習曲になる、という趣旨の説明が英語で添えられており、実際に1小節目には「sempre legato」の指示も見られます。なお、この曲集ではこのエチュードの次に「Arpeggio Study(For left hand alone)」が続けて収録されており、2曲セットでアルペジオの練習に取り組めるよう配置されているのではないかと考えられます。
楽譜などの詳細は、【ピアノ】ジョン・トンプソン「FOR LEFT HAND ALONE」シリーズ 完全ガイド をご覧ください。
► 3版の比較表
| 項目 | A.R.パーソンズ版 | ヴァルター・ゲオルギイ編「片手で弾くピアノ曲集」収録版 | ジョン・トンプソン編「FOR LEFT HAND ALONE Book Two」収録版 |
|---|---|---|---|
| 収録曲集 | Piano Music for One Hand(レヴェンタール編) | 片手で弾くピアノ曲集 オリジナル作品と編曲作品集 | FOR LEFT HAND ALONE Book Two |
| 編曲区分 | 左手用編曲と明記 | 片手用編曲と明記(どちらの手でも演奏可) | 左手用編曲と明記 |
| 小節数 | 全35小節(原曲どおり) | 全34小節 | 全8小節(原曲後半をもとに再構成) |
| 調性 | ハ短調 | ハ短調 | ハ短調 |
| 難易度の目安 | ツェルニー30番修了〜40番入門程度 | ツェルニー30番中盤程度 | ブルグミュラー25の練習曲中盤程度 |
| テンポ指示 | Non troppo vivo. | なし | Allegretto |
| 運指の記載 | あり | あり | あり |
| ペダリングの記載 | あり | なし(ペダル不使用を想定した可能性あり) | なし(ペダル不使用を想定した可能性あり) |
| 手の大きさ | 音程の広いアルペジオがあり、ある程度要求される | それほど要求されない | それほど要求されない |
| 特記事項 | 3版の中でもっとも難易度が高い | 25小節目以外に和音が出てこず、Parsons版で跳躍だった箇所も弾きやすく処理されている | 次曲「Arpeggio Study」とセットでの活用が想定され、sempre legatoの指示と注によりレガート練習を意識した構成になっている |
► 終わりに
同じ「ソルフェッジョ ハ短調」を出発点としながらも、3つの版はそれぞれ異なる性格を持っていることが見えてきたのではないでしょうか。
A.R.パーソンズ版は、原曲の規模とテンポ感をほぼそのまま左手用にした本格的な編曲です。ヴァルター・ゲオルギイ編「片手で弾くピアノ曲集」収録版は、やや弾きやすさに配慮しながらも原曲の雰囲気をしっかり残した編曲です。そしてジョン・トンプソン編「FOR LEFT HAND ALONE Book Two」収録版は原曲の一部を取り出し、レガート奏法やアルペジオの練習に特化させた教育的なエチュードといったところでしょう。
難易度や目的に応じて弾き比べてみると、同じ原曲からでも異なるアプローチが生まれることが実感できるはずです。片手編曲の考え方を学ぶ教材としても、それぞれの版を見比べる価値は十分にあります。
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