【ピアノ】左手音楽から読み解くゲイリー・グラフマン:右手の故障から生まれた新たなレパートリー
► はじめに
2025年12月27日、アメリカのピアニスト、ゲイリー・グラフマン(Gary Graffman, 1928-2025)が97歳でこの世を去りました。両手のヴィルトゥオーソとしてキャリアを歩みながら、50歳前後で右手を故障するという苦難に見舞われた人物です。しかし彼は、左手のためのピアノ音楽という新たな道を切り拓いていきました。
本記事では、そんなグラフマンの生涯を「左手音楽」というキーワードから辿ってみたいと思います。
► 左手音楽から読み解くゲイリー・グラフマン
‣ キャリアの始まり
グラフマンは1928年10月14日、ニューヨークに生まれました。父はロシア出身のヴァイオリニストで、レオポルド・アウアーに師事した人物だったといいます。グラフマン自身は7歳でカーティス音楽院の奨学金を得てイザベル・ヴェンゲローヴァに師事し、10歳でタウンホールにてニューヨーク・リサイタルデビューを果たしました。
1946年にカーティス音楽院を卒業し、ラフマーニノフ賞を受賞。オーマンディ指揮フィラデルフィア管弦楽団とのオーケストラデビューについては、資料によって1946年とも1947年とも記されており、正確な年ははっきりしません。1949年にはレヴェントリット賞を受賞し、クリーブランド管弦楽団やニューヨーク・フィルハーモニックとの共演も果たしました。1951年にはフルブライト奨学金を得てヨーロッパへ渡り、帰国後はホロヴィッツやゼルキンに個人的に師事しています。両手の名手として、この頃すでに国際的な評価を確立していました。
‣ 右手の異変、そして転機
順風満帆に見えたキャリアに影が差したのは、1970年代後半のことでした。右手の薬指を負傷したことをきっかけに、しだいに右手が思うように動かなくなっていったのです。後に、この症状は局所性ジストニアと診断されました。
グラフマンは通常の演奏活動をキャンセルすることを決断しました。ただし、ガーシュウィンの「ラプソディ・イン・ブルー」だけは録音することができ、この音源はウディ・アレン監督の映画「マンハッタン」のサウンドトラックに使われることになりました。
左手のための音楽を弾き始めた経験について、グラフマンは謙虚にならざるを得なかったと振り返っています。全盛期には「巨大なナイアガラの滝」のようだったレパートリーが、突如「一滴のしずく」にまで縮小してしまった、という彼自身の言葉は、この転機の大きさを物語っていると言えるでしょう。なお、実際には右手を完全に封じられていたわけではなく、患部をある程度使い続けることもでき、シュニトケの「ピアノ五重奏曲」やジェニファー・ヒグドンの「Scenes from the Poet’s Dream」など、右手をわずかに用いる作品も演奏していました。
‣ 復活させた名曲:コルンゴルトの協奏曲
グラフマンが左手のレパートリーの中心に据えたのが、ラヴェルの「左手のためのピアノ協奏曲」でした。そして右腕を失ったウィーンのピアニスト、パウル・ヴィトゲンシュタインが委嘱した数々の左手作品も、積極的に開拓していきます。
中でも特筆すべきは、1985年に行われたコルンゴルトの「左手のためのピアノ協奏曲 嬰ハ長調 Op.17」の北米初演です。この曲は1922年にヴィトゲンシュタインから委嘱され、翌1923年に完成しました。ジチーの協奏曲に次いで左手のための協奏曲としては「音楽史上2番目」に位置づけられる作品であり、後にヴィトゲンシュタインが委嘱した一連の左手作品の初期を代表する大規模な協奏曲でもあります。
1920年代にヴィトゲンシュタインの独奏で初演されましたが、ヴィトゲンシュタインが1961年に亡くなるまで演奏権を独占していたため、1930年代以降は長らく忘れられた存在になっていました。この作品を再び国際的な演奏レパートリーへと引き戻したのが、グラフマンでした。
‣ グラフマンのために生まれた作品たち
グラフマンの存在は、過去の名曲を復活させるだけに留まりませんでした。彼のために新たに生み出された左手作品は、少なくとも6曲が確認できます。
1993年:
ネッド・ローレム作曲「ピアノ協奏曲 第4番(左手のための)」
カーティス音楽院の委嘱で、アンドレ・プレヴィン指揮、カーティス交響楽団と世界初演され、翌日にはカーネギーホールでニューヨーク初演も行われました。
1996年:
ウィリアム・ボルコム作曲「両手のための(左手×2)協奏曲」(通称”Gaea”)
同じく右手の障がいに苦しんだ友人ピアニスト、レオン・フライシャーとの共演で世界初演されています。
2000年:
セルゲイ・スロニムスキー作曲「パガニーニによる左手のためのコンサート・エチュード」
独奏曲では、この作品もハーバート・アクセルロッドとイヴリン・アクセルロッドの資金によりグラフマンのために委嘱された作品です。パガニーニの有名な主題を用いながら、低音域と中高域の間を跳躍させる書法にユーモアが漂う小品で、親しみやすい旋律と現代的な語法が同居しているのが特徴と言えます。
この曲は長らく単独では出版されず、2021年にルビー・モーガン編纂のアンソロジー「An Anthology of Piano Music for the Left Hand Alone」に収録され、楽譜として入手できる形になりました。
2001-2002年シーズン:
リチャード・ダニエルプール「Zodiac Variations」(ワシントンD.C.、ナショナル交響楽団)
ダロン・ヘイゲン「Seven Last Words」(バッファロー・フィルハーモニックおよびニューメキシコ交響楽団)
ルイス・プラド「Concierto para la mano izquierda」(フィラデルフィア室内管弦楽団)
これらの楽曲が、それぞれ世界初演を迎えました。
なお、少なくとも今回確認した資料の範囲では、グラフマン自身が左手作品を作曲・編曲した例は確認できませんでした。彼の功績はあくまで、演奏家・委嘱者として左手のレパートリーを掘り起こし、広めた点にあると言えそうです。
‣ 映像で聴くグラフマンの左手演奏
子供たちに向けて左手のピアノ演奏を披露する、グラフマンの貴重な映像が公開されています。
Music & Truffles – Gary Graffman plays left hand piano for the children
演奏曲目:Reinecke, Carl:Eine Klaviersonate für die linke Hand allein, Op.179-2
(チャンネル:Mooredaleconcertstv)
Music & Truffles – What is a fugue?
演奏曲目:Reger, Max:Vier Spezialstudien für die linke Hand allein, für Pianoforte – Fugue
(チャンネル:Mooredaleconcertstv)
► 演奏家たちが支えた左手音楽の歴史
グラフマンの歩みは、決して孤立したものではありません。
左手のための音楽は、作曲家だけの力で発展してきたわけではありません。作品を実際に舞台に乗せ、聴衆に届け、さらに新しい作品を作曲家に委嘱する演奏家が存在して初めて、そのレパートリーは広がり、歴史に残っていきます。
グラフマンのほかにも、右手の局所性ジストニアに苦しんだレオン・フライシャー(1928–2020)や、脳卒中によって右手が麻痺したライオネル・ノヴァク(1911–1995)など、身体的な困難を抱えながら左手作品を積極的に演奏・紹介してきたピアニストがいました。
特にグラフマンとフライシャーは、いずれも両手のヴィルトゥオーソとして国際的なキャリアを築いた後、右手の障がいによって演奏活動の大きな転機を迎えています。そして、左手のための既存作品を演奏するだけでなく、作曲家に新作を委嘱することによって、レパートリーそのものを拡張していきました。
このような演奏家の存在こそが、左手音楽の歴史を支えてきたと言えるでしょう。作曲家が作品を書き、演奏家がそれを舞台に乗せ、聴衆がその音楽を知る。そして、そのレパートリーの存在が、さらに新たな作品を生み出すきっかけとなる。左手音楽の歴史は、このような作曲と演奏の循環によって豊かになってきたのです。
グラフマンの功績も、まさにこの循環の中に位置づけることができます。彼は左手のための作品を演奏しただけではありません。忘れられていた作品を再び聴衆の前に提示し、作曲家たちに新たな作品を委嘱し、そしてその音楽を次の世代へと伝えていきました。
► 教育者としてのもう一つの顔
グラフマンは演奏家であると同時に、優れた教育者・音楽行政官でもありました。1980年にカーティス音楽院のピアノ科教員となり、1986年にはディレクター、1995年にはプレジデントに就任しました。2006年まで両職を務めています。
グラフマンの指導を受けた人物には、ラン・ラン、ユジャ・ワンなど、後に世界的な演奏家として活躍する音楽家もいます。
1981年には自伝「I Really Should Be Practicing」も刊行しており、その飾らない語り口は多くの読者に親しまれています。
► 終わりに
両手のヴィルトゥオーソとして名を馳せたグラフマンは、右手の故障によって、それまでのレパートリーの多くを失いました。しかし、彼の音楽家としての活動はそこで終わりませんでした。
長く演奏されていなかった作品を再び舞台に乗せ、作曲家たちに新たな左手作品を委嘱。グラフマンは、左手で演奏したピアニストであるだけではありません。左手音楽のレパートリーそのものを拡張した人物でした。
彼の歩みは、身体的な制約によって失われたものの物語であると同時に、その制約を起点として新たに生み出された音楽の歴史でもあります。
参考文献:
・ニューグローブ音楽大事典「Graffman, Gary」の項
・curtis.edu(Curtis Institute 訃報記事)
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