【ピアノ】左手独奏の弾きやすい編曲を見分けるポイント

【ピアノ】左手独奏の弾きやすい編曲を見分けるポイント

► はじめに

 

近年、左手のみで演奏されるピアノ曲のレパートリーは増えていますが、いざ楽譜を探してみると、編曲の弾きやすさにはかなりのバラつきがあることに驚かされるかもしれません。

本記事では、楽譜の書き方から弾きやすいアレンジを見極めるための大きな判断基準を、具体的な作品を挙げながら分かりやすく解説します。

弾きやすいかどうかは弾いてみれば分かりますが、本記事の内容を理解しておくと、楽譜を購入する前でも、ある程度は編曲の傾向を判断できるようになります。

 

► 鍵を握るのは、広範囲和音の「時間のコントロール」

 

左手用の編曲では、楽曲のすべてを5本の指だけで表現しなければなりません。そのため、変化をつけようとするとどうしても音域が広くなり、アルペッジョ、装飾音、広範囲和音を使いたくなります。 この「物理的にどうしても手が届かない広範囲の音」を、編曲者がどのように処理しているか——ここに、弾きやすさが如実に現れます。

片手演奏において、音を分散して弾くということは、そこに両手演奏のときよりも多くの物理的な「時間」が発生することを意味します。弾きやすい編曲と、そうではない編曲の違いは、この「弾くためにかかる時間」が音楽の流れの中に計算されているかどうかにあるのです。

 

► 実際の編曲例で確認する

‣ 左手用編曲において生じやすい課題が現れている例

 

ワーグナー=リスト=フリードマン「イゾルデの愛の死」 ※編曲者については後述

譜例(PD楽曲、浄書ソフトで作成、33-36小節)

ワーグナー=リスト=フリードマン「イゾルデの愛の死」左手独奏編曲の譜例(33〜36小節)

まずは、本記事のテーマである「時間処理の難しさ」が現れている例を見てみましょう。

イグナーツ・フリードマン(※編曲者については後述)が左手用に編曲した「イゾルデの愛の死」が分かりやすい事例となります。リストが編曲したワーグナーの「イゾルデの愛の死」をもとにして、左手のみで演奏できるように改変されています。

音楽の骨組みとなる箇所に、非常に幅の広い和音がこの短い譜例の中だけでも6回登場します。 曲自体のテンポはMolto Moderatoであり、それほど速くはありません。しかし、拍の頭で大きなアルペッジョや広範囲和音が連発すると、物理的に弾く時間がかかってしまい、どうしても拍感覚が間延びしてしまいます。

・譜例冒頭の広範囲和音は、音楽的に多少テンポを広げても成立する
・しかし、それ以外の箇所では音楽の流れを止めてしまいやすい
・広範囲和音の直前に十分な時間的余裕がない
・そのため、前打音的に処理する方法も使いにくい

このように、両手演奏の作品と同じ感覚で「離れた旋律・バス・ハーモニーを鳴らそう」としすぎた結果、音楽として最も大切な「自然な拍感」が乱れてしまう書法は、演奏者にとっても扱いづらいものになってしまいます。

また、左手演奏で問題となりがちな「手への負担が大きくなってしまう」のも問題の一つと言えるでしょう。

 

フリードマンはこれだけの大曲を左手のみで弾けるように編曲し、それを後世に残してくれました。その点で貴重な資料ではあるのですが、同時に、左手演奏および編曲の難しさも提示される結果となりました。

 

補足

この作品は、リストによるピアノ独奏版をもとにした左手独奏版です。ヴィトゲンシュタイン編集の「School for the Left Hand」では作品冒頭に「WAGNER–LISZT」とのみ記されており、左手版の編曲者名は楽譜上には明記されていません。一方、IMSLPではイグナツ・フリードマンを編曲者として登録しているのに対し、パターソンは本作をヴィトゲンシュタイン自身の編曲として紹介しています。現時点では資料間で表記に違いが見られます。

 

‣ 弾きやすさを考慮した編曲の例

 

上記の問題を避けることを意識して筆者が編曲した例を一つ挙げます。

 

エルガー「愛のあいさつ〜左手独奏のための〜」

譜例(PD楽曲、浄書ソフトで作成、63-68小節)

エルガー「愛のあいさつ〜左手独奏のための〜」譜例(63〜68小節)

68小節目では、広範囲の和音、装飾音符を使用していますが、音楽の流れを邪魔しないように工夫しました。「テンポが広がる(時間がかかる)こと」をあらかじめ想定して、広がっても自然な箇所、それも制限された箇所(回数)のみでこのような音遣いを入れています。

 

音楽的なクライマックスへ向けて

最も音楽が盛り上がるクライマックス(68小節目)へ向けて、作曲者エルガー自身のオーケストラ編曲にも書かれている largamente(ゆったりと幅広く)という指示を残しています。音楽的なクライマックスという、テンポを広げても不自然にならない箇所を選んで広範囲和音、装飾音符を配置しているため、弾きにくさを生まずに、音楽的問題も起こさずに成立させています。

「左手で広範囲を弾けばテンポが広がる」という物理現象そのものを、音楽表現として利用しました。

 

「愛のあいさつ〜左手独奏のための〜」の楽譜などは、【ピアノ】「愛のあいさつ 〜左手独奏のための〜」編曲者による演奏解説 で紹介しています。

 

► 終わりに

 

左手独奏の楽譜を選ぶときは、単に「響きが綺麗か」を見るだけでなく、「その音符を弾くための物理的な時間が、音楽の流れを壊していないか」を読み解くことが大切です。

不自然に拍感が途切れることなく、フレーズが美しく流れるように設計された楽譜は、弾いていてストレスがないだけでなく、手への負担も少なくなります。これから新しい楽譜を手に取る際は、ぜひ本記事で紹介した視点にも注目してみてください。

 

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この記事を書いた人
タカノユウヤ

左手・片手のためのピアノ音楽を専門とし、作曲・編曲、講演などを行っています。また、当サイト「One-Hand Piano Institute」を運営し、作品・作曲家・音楽史・技術(作曲・編曲・演奏)・楽譜・文献まで、片手で演奏するピアノ音楽を多角的に紹介しています。

日本音楽コンクールをはじめ、国内外の作曲コンクールで受賞歴を持ち、これらの受賞作品はいずれも、左手ピアノを編成に含むアンサンブル作品、および、左手のためのピアノ独奏作品です。
また、大学院では左手のためのピアノ音楽における作曲・編曲をテーマに研究し、首席で修了しています。

右手の負傷をきっかけに出会った左手のためのピアノ音楽に心惹かれ、以来15年以上、この分野に取り組んできました。左手音楽の魅力と可能性を、より多くの方に知っていただけたら嬉しく思います。

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