【ピアノ】片手のためのトッカータ作品ガイド:年代順にたどる

【ピアノ】片手のためのトッカータ作品ガイド:年代順にたどる

► はじめに

 

トッカータ(Toccata)は、「触れる」を意味するイタリア語を語源とし、速いパッセージワークや技巧的な運動性を特徴とする器楽曲のジャンルです。片手のための作品にも、単音の連続やオクターブの跳躍など、トッカータらしい運動的な書法を持つ作品が見られます。

本記事では、片手のために書かれたトッカータを中心に、曲集の中の一曲や、トッカータ的な性格を持つ楽章も含めて、成立年の古い順に紹介します。

選曲や、片手のための作品の歴史をたどる際の手がかりとしてお役立てください。

なお、記事内で示す年代は、原則として作曲年です。作曲年が確認できない場合や、出版年を基準とする場合には、その旨を明記しています。年代を範囲で示す場合は、原則として着手年を基準に並べています。

 

► 演奏形態について

 

本ガイドでは、作品名の末尾に以下の記号を付しています:

[LH]:左手のみで演奏
[RH]:右手のみで演奏
[LH/RH]:左手または右手で演奏
[LH][RH]:左手作品と右手作品が両方入っている項目など

作品を実際にどちらの手で演奏できるかではなく、作曲者・編曲者が指定した演奏形態を基準として、[LH][RH][LH/RH]を付しています。

 

► 年代順にたどる作品紹介

‣ シュミット「左手のためのトッカータ ニ短調」(1938年作曲)[LH]

 

譜例(PD楽曲、浄書ソフトで作成、1-2小節)

フランツ・シュミット「左手のためのトッカータ ニ短調」1-2小節

ウィーンで活躍したオーストリアの作曲家フランツ・シュミット(1874-1939)は、第一次世界大戦での負傷がきっかけで右腕を失ったピアニスト、パウル・ヴィトゲンシュタイン(1887-1961)の依頼によって左手のための作品を複数残しています。

1938年10月に作曲され、自筆譜には「ピアノまたはチェンバロのための」との記載もあり、チェンバロでの演奏も想定されていました。左手独奏としての原典版の出版は、作曲から40年を経た1978年頃のことです。

Molto vivaceの指示による無窮動的な音楽で、広い音域を駆け巡る単音のパッセージワークを中心に、バロック音楽を思わせる乾いた響きと、近代的な和声が同居する独自の語法が際立つ作品です。

演奏時間は約6分30秒、難易度はツェルニー50番入門以降程度。

楽譜:Toccata für die linke Hand allein(Musse.jp)

 

‣ タカーチュ「左手のためのトッカータとフーガ Op.56」(1950年作曲)[LH]

 

※著作権保護期間中につき、譜例は掲載不可

 

ハンガリー系オーストリアの作曲家・ピアニスト、イェネー・タカーチュ(1902-2005)は、103歳まで生きた長寿の音楽家としても知られています。

「左手だけで演奏することは本当に可能か」という友人の問いかけに応える形で書かれた作品。完成後にヴィトゲンシュタインへ送られましたが、「現代的すぎる」として返却されたという逸話も残っています。

前半のトッカータは、メトロノーム記号を伴わない「Rapid」の指示のもと、即興的な音の動きで始まり、途中で♩= 66の落ち着いた部分を挟みながら、拍節感の薄い自由な進行が続きます。後半のフーガは無調的な書法で始まりますが、最終小節で意表をつくようにハ長調の主和音へと解決し、トッカータ末尾とフーガ末尾の共通する響きを通じて両曲が結びつけられる構成になっています。

演奏時間は全曲合計で約7分30秒、難易度はツェルニー40番修了程度。

楽譜:Toccata und Fuge für die linke Hand, Op.56(Rakuten.co.jp)

 

‣ ベルナル・ヒメネス「Antigua Valladolid より トッカティーナ(右手のための)」(1951年作曲)[RH]

 

譜例(PD楽曲、浄書ソフトで作成、1-3小節)

ベルナル「トッカティーナ(右手のための)」1-3小節

メキシコ出身の作曲家・オルガニスト、ミゲル・ベルナル・ヒメネス(1910-1956)が作曲した、性格的小品集「Antigua Valladolid(古きバジャドリッド)」全4曲のうち、第1曲にあたる右手独奏作品。

非常に短い作品ながら、全編にわたって単音による16分音符の連続が途切れることなく進み、要所に置かれたテヌートが表現上の重要な合図として機能しています。トッカータ的性格を持ち、曲集全体の序奏としての役割も担っています。

演奏時間は約30秒、難易度はツェルニー30番入門程度。

 

‣ マティチッチ「左手のための3つの練習曲 より 第3曲」(1956年作曲、1987年改訂再版)[LH]

 

※著作権保護期間中につき、譜例は掲載不可

 

スロベニアの作曲家・ピアニスト、ヤネズ・マティチッチ(1926-2022)が作曲した、オクターブや和音の跳躍、トレモロなど、高度な技術が求められる3曲構成の練習曲集の終曲。

諧謔的な性格を持つトッカータで、冒頭に置かれた「sempre stacc.」の指示が難度を上げています。書法自体は簡潔ですが、Allegro vivaceで弾き切る必要があるため、技術面でのハードルは高い作品と言えるでしょう。

演奏時間は約1分50秒、難易度はツェルニー50番入門以降程度。

楽譜:Tri etude za levo roko(Three Studies for Left Hand)(dss.si)

 

‣ ボントフト「前奏曲とフゲッタ より フゲッタ」(1958年頃出版)[LH]

 

※作曲者の没年が不詳であり、著作権保護期間の確定が困難なため、譜例の掲載は控えております。

 

フレデリック・S・ボントフトは1896年生まれのイギリスの作曲家で、詳しい経歴はほとんど伝わっていませんが、本作「前奏曲とフゲッタ」を通じて左手作品の記録にその名をとどめています。

新バロック様式で書かれた「前奏曲とフゲッタ」の後半部分。主題は半音階的でコラール風の性格を帯び、3声部を思わせる書法が用いられていますが、対位法としての書法はさほど厳格ではなく、むしろトッカータに近い性格を持っています。曲の終盤では前奏曲とフゲッタ、両者の主題が組み合わされる印象的な瞬間を経て、静かに曲を結びます。

演奏時間は前奏曲とあわせて全曲で約5分、難易度はツェルニー40番中盤程度。

 

‣ アンドリーセン「3つの小品 より 第2曲 Fracas」(1961年作曲)[LH]

 

※著作権保護期間中につき、譜例は掲載不可

 

オランダの作曲家ルイ・アンドリーセン(1939-2021)が作曲した、全3曲からなる「Trois Pièces(3つの小品)」の第2曲。

不協和な響きのうちに同音連打が繰り返されるトッカータ風の作品で、時折現れる音の動きが旋律的な性格を帯び、聴きやすさをもたらしています。曲集全体はコル・デ・フロートに献呈されました。

演奏時間は約1分30秒、難易度はツェルニー40番修了程度。

楽譜:Mano sinistra I:Six pieces by Netherlands composers for piano left hand(webshop.donemus.com)

 

コル・デ・フロートについて詳しく知る

【ピアノ】左手作品から読み解くコル・デ・フロート:オランダ左手ピアノ音楽の一章

 

‣ ヘルプス「左手のための音楽 3つのエチュード より 第3曲 Allegro brillante」(1975年作曲)[LH]

 

※著作権保護期間中につき、譜例は掲載不可

 

アメリカのピアニスト・作曲家ロバート・ヘルプス(1928-2001)が右手の不調を抱えていた時期に、自分自身のために書いた3曲からなる練習曲集の終曲。ルドルフ・コリッシュに献呈されています。

作曲者自身が「ヴィルトゥオーゾ的——この場合、トッカータ」と性格づけた楽章で、鍵盤の高音域を中心とした技巧的な書法が特徴です。すべての音に運指が付され、「Senza or poco Pedal, except where indicated.(指示のある箇所以外は、ペダルを使わないか、ごくわずかにとどめる)」との注記も添えられています。

 

‣ デ・ブール「トッカータ(右手のための)」(1978年作曲)[RH]

 

※著作権保護期間中につき、譜例は掲載不可

 

オランダの作曲家・ピアニスト・指揮者であるエド(エドゥアルト)・デ・ブール(1957-)が作曲した、テンポや強弱が頻繁に変化する、形式的にも自由な作品。マリー=ジョゼ・フェルストラーレンに献呈されました。

単音によるパッセージワークを軸としながら、ところどころに和音が加わり、16分音符で書かれたトリル風の音型が全体の多くを占めています。途中には、そのトリルと関連づくような2度音程の和音の連続も現れます。

演奏時間は約5分、難易度はツェルニー40番修了程度。

楽譜:Toccata : piano rechtshandig, 1978 / Ed de Boer(webshop.donemus.com)

 

‣ スタイン「トッカータ 第3番(左手のための)」(1981年作曲)[LH]

 

※著作権保護期間中につき、譜例は掲載不可

 

アメリカ・シカゴ出身の作曲家・音楽学者レオン・スタイン(1910-2002)が作曲した、ノーマン・マローンの委嘱による作品。

3小節からなる短いAdagioの序奏は和音を中心に書かれ、続くAllegroでは16分音符による運動的なパッセージが展開されます。要所には序奏部分に似た和音書法が再び挟み込まれ、曲全体に変化をもたらしています。

難易度はツェルニー40番中盤程度。

 

‣ オルソン「バンブルビー・トッカータ」(1983年頃出版)[LH/RH]※原曲は両手用

 

※著作権保護期間中につき、譜例は掲載不可

 

アメリカの作曲家リン・フリーマン・オルソン(1938-1987)が作曲した小品。もともとは両手用の独奏曲として書かれましたが、作曲者自身が「特別な練習課題として、この曲は片手だけで演奏することができ、半音階パターンや素早い親指の移動(シフト)の練習になります」と述べており、片手のみでの演奏も想定された作品です。ジェファーソン・シティ地区音楽教師協会の委嘱で書かれました。

「Very fast」という簡潔なテンポ指示が付され、半音階と全音音階の使い分けやめまぐるしいダイナミクスの変化が、曲名から連想されるイメージをいっそう膨らませます。

演奏時間は約40秒、難易度はツェルニー30番入門程度。

楽譜:Bumblebee Toccata(Amazon.co.jp)

 

► 作品一覧表

 

作曲家 作品 演奏形態 成立年 演奏時間 難易度目安
シュミット トッカータ ニ短調 LH 1938年作曲 約6分30秒 ツェルニー50番入門以降
タカーチュ トッカータとフーガ Op.56 LH 1950年作曲 約7分30秒(全曲) ツェルニー40番修了
ベルナル・ヒメネス Antigua Valladolid より トッカティーナ RH 1951年作曲 約30秒 ツェルニー30番入門
マティチッチ 3つの練習曲 より 第3曲 LH 1956年作曲 約1分50秒 ツェルニー50番入門以降
ボントフト 前奏曲とフゲッタ より フゲッタ LH 1958年頃出版 約5分(全曲) ツェルニー40番中盤
アンドリーセン 3つの小品 より 第2曲 Fracas LH 1961年作曲 約1分30秒 ツェルニー40番修了
ヘルプス 3つのエチュード より 第3曲 LH 1975年作曲 – –
デ・ブール トッカータ RH 1978年作曲 約5分 ツェルニー40番修了
スタイン トッカータ 第3番 LH 1981年作曲 – ツェルニー40番中盤
オルソン バンブルビー・トッカータ LH/RH
※原曲は両手用
1983年頃出版 約40秒 ツェルニー30番入門

※難易度表記はあくまで目安です。片手演奏への慣れや手の大きさなどによって実際の難しさは変わります。

 

► どの作品に取り組むか

 

これから片手のトッカータ作品に触れてみたい方には、まずオルソンの「バンブルビー・トッカータ」が候補となるでしょう。演奏時間が1分に満たない小品で、トッカータらしい運動性を短い時間で体験できます。

より高度な技巧や独特の響きを求める方には、アンドリーセンやマティチッチの作品も興味深い選択肢です。一方、シュミットやタカーチュの作品では、より大きな規模の中で、片手による技巧的な書法や構成の工夫を味わうことができます。

難易度の目安だけでなく、演奏時間や音楽的な特徴も参考にしながら、自身に合った作品を選んでみてください。

 

► 終わりに

 

片手だけでトッカータの運動性を表現する試みは、20世紀のさまざまな作曲家によって展開されてきました。技巧的な独奏曲として書かれた作品から、曲集の一部として置かれた小品、練習曲としての性格を備えた作品まで、そのあり方は多様です。それぞれの作品が持つ独自の工夫に注目しながら、ぜひ実際の音を確かめてみてください。

当サイトでは、作曲家・作品ごとに片手作品を整理した「左手ピアノ作品ライブラリー:作曲家別」を公開しています。トッカータ以外の作品についても知りたい場合は、あわせてご覧いただければと思います。

 

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この記事を書いた人
タカノユウヤ

左手・片手のためのピアノ音楽を専門とし、作曲・編曲、講演などを行っています。また、当サイト「One-Hand Piano Institute」を運営し、作品・作曲家・音楽史・技術(作曲・編曲・演奏)・楽譜・文献まで、片手で演奏するピアノ音楽を多角的に紹介しています。

日本音楽コンクールをはじめ、国内外の作曲コンクールで受賞歴を持ち、これらの受賞作品はいずれも、左手ピアノを編成に含むアンサンブル作品、および、左手のためのピアノ独奏作品です。
また、大学院では左手のためのピアノ音楽における作曲・編曲をテーマに研究し、首席で修了しています。

右手の負傷をきっかけに出会った左手のためのピアノ音楽に心惹かれ、以来15年以上、この分野に取り組んできました。左手音楽の魅力と可能性を、より多くの方に知っていただけたら嬉しく思います。

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