【ピアノ】片手作品を演奏する・生み出すことに、人生的な意味は必要なのか
► はじめに
片手のための作品や、それに取り組む演奏家について調べていくと、ある共通点に気づかされます。それは、多くの人物や作品について、「なぜ、片手なのか」という理由、それも「人生的な理由」が語られているという点です。事故で右手を失った、ジストニアを発症した、戦争で腕を負傷した——そうした背景が、片手音楽を紹介する際の入り口として繰り返し使われています。
これは裏を返せば、片手音楽がまだ「人物と結びついた特別な理由がなければ選ばれない音楽」という位置に留まっているということかもしれません。果たして、片手作品を弾くこと、あるいは作ることに、本当に人生的な特別な意味や物語は必要なのでしょうか。本記事では、その問いについて考えてみたいと思います。
►「人生的な」意味は必要なのか
‣ なぜ、片手音楽には「人生的な物語」が付いてまわるのか
片手ピアノの歴史を調べると、右腕を失った、事故で手を負傷した、障がいを抱えながらも演奏を続けた、リハビリのために始めた——といったエピソードが数多く見つかります。逆境を乗り越えたという筋書きは、決して偶然生まれたものではないでしょう。
片手で演奏すること自体が、聴き手にとっては「なぜ、両手で弾かないのか」という素朴な疑問を呼び起こします。そこで「腕を失ったから」という説明が加わると、その疑問には一つの明確な答えが与えられます。身体的な事情が、片手であることの理由を補ってくれるわけです。
メディアの側から見ても、これは非常に紹介しやすい構図なのでしょう。困難、絶望、そして音楽への復帰という流れには、一つの物語として理解しやすい強さがあります。実際、左手ピアノを紹介する記事の多くで、パウル・ヴィトゲンシュタインが戦争で負った傷や、ニコラス・マッカーシーの身体的な障がいが、作品への導入として強調される傾向があります。
‣ 片手音楽が抱えている課題
「意味がなければわざわざ片手で演奏する必要はない、作曲する必要はないというくらいの段階に留まっているのかもしれない」という見方は、的を射ているように思います。問題は、そこで求められている「意味」が、「人生的な物語」に偏っていることです。
ショパンを弾く理由を問われて「ショパンだから」と答えても、それで成立しますし、ベートーヴェンのピアノソナタを演奏するのに、「両手が使えるから」という説明は不要です。ところが片手作品となると、事情が変わります。「なぜ、片手演奏なのか」という問いが先に立ち、それに答えるための装置として、作曲家や演奏家の身体的な背景が持ち出されることになります。
これは裏返せば、片手であること自体が、まだ十分に独立した音楽的価値として受け取られていないことを示しているのかもしれません。
‣ 最初からすべてが障がい克服の物語だったわけではない
興味深いのは、片手作品の成立過程を歴史的に見ていくと、最初からすべてが障がい克服の物語だったわけではないという点です。技術訓練のための練習曲、名人芸を披露するための作品、編曲上の実験、作曲における制約への挑戦、教育目的、特定の演奏家のために書かれたもの、単なる作曲上の思いつきなど、その動機は非常に多様です。
それにもかかわらず、現代の紹介では、身体的な困難を乗り越えた音楽という物語に集約されがちな傾向が見られます。
‣ 障がいの物語を否定したいわけではない
ここは誤解を避けたいところですが、決して、障がいや怪我にまつわる物語を片手音楽から無くすべきだと主張したいわけではありません。むしろそれは、音楽史の重要な一部分です。筆者自身も、初めに左手作品に取り組んだきっかけは、右手の故障でした。
ヴィトゲンシュタインという存在がなければ、ラヴェルやプロコフィエフ、コルンゴルト、ブリテン、リヒャルト・シュトラウスといった作曲家たちによる大きな左手のレパートリーは生まれなかった可能性が高いでしょう。だからこそ、ある作品がどんな「人生的な意味」で生まれたのかを調べること自体には大きな意味がありますし、本サイトで掘り起こしている部分の一つでもあります。
問題なのは、生まれた「人生的な意味」が、そのまま作品の価値を判断する中心になってしまうことではないでしょうか。
‣ 三つの「意味」を分けて考える
片手音楽をめぐる「意味」は、大きく三つに分けて整理できると思われます。
① 人生的な意味
「なぜ、この人物が片手音楽を始めたのか」
② 歴史的な意味
「なぜ、この作品や演奏家が片手音楽の歴史において重要なのか」
③ 音楽的な意味
「なぜ、この作品は片手である必要があるのか」
「② 歴史的な意味」や「③ 音楽的な意味」が常に必要と言いたいわけではありません。「① 人生的な意味」に偏りすぎている現状を問題視しているだけで、ときには、特別な理由がなくても片手音楽を演奏したり、作曲したりできる状態があってもいいと思います。
‣ 特別な理由がなくても片手音楽を
片手音楽が一つの成熟したジャンルとして育っていく軸と並行して、特別な理由がなくても片手音楽を演奏したり、片手作品を作曲したりできる、という軸も必要かもしれません。作曲家が「今日は左手だけで曲を書いてみよう」と思い立つ。演奏家が「この左手だけで弾く曲は面白い」と感じる。あるいは、怪我も障がいもないけれど、単に左手作品が好きだから弾いている、という人がもっと多くいてもいいはずです。
こうした在り方がごく当たり前になったとき、片手音楽の位置づけは大きく変わっているはずです。
► 終わりに
筆者自身も片手作品の演奏や作曲を経験してきた立場から言えば、障がいや怪我の物語を否定するつもりはありません。それらは音楽史を形づくってきた大切な要素です。ただ、その物語だけに頼らずとも、片手作品が聴き手に届く日が来ることを、期待したいと思います。
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