【ピアノ】左手音楽から読み解くレオン・フライシャー:ジストニア、左手レパートリー、そして復帰
► はじめに
レオン・フライシャー(Leon Fleisher, 1928-2020)という名前は、左手のためのピアノ音楽を語るうえで避けて通れない存在です。当サイトでもこれまで、彼の録音や、彼が演奏してきた楽曲について個別に取り上げてきましたが、本記事では「フライシャーという音楽家そのもの」に焦点を当て、その生涯・左手作品への関わり・関連ディスコグラフィーを一つにまとめます。
フライシャーを「ジストニアを克服したピアニスト」として語るだけでは、その音楽家としての重要性を十分に捉えることはできません。右手の障がいによって左手のためのレパートリーと深く関わるようになったこと、そしてその経験を通じて教育者・指揮者・演奏家として新たな活動領域を切り開いたことこそ、フライシャーを左手音楽史の中で考えるうえで重要です。
► 左手音楽から読み解くレオン・フライシャー
‣ 演奏家としての出発点
1928年7月23日、サンフランシスコに生まれたフライシャーは、4歳でピアノを習い始め、9歳でアルトゥール・シュナーベルに師事するようになりました。16歳のときにはニューヨーク・フィルハーモニックとの共演でカーネギー・ホールにデビューし、指揮者ピエール・モントゥーから絶賛されたことでも知られています。
24歳を迎えた1952年には、ブリュッセルのエリザベト王妃国際コンクールでアメリカ人として初めて優勝を果たし、国際的なキャリアの扉を開きました。この時点でフライシャーはすでにカーネギー・ホールでのデビューとコンクール優勝という華々しい実績を積み重ねており、世界でもっとも将来を嘱望されるピアニストの一人と目されるようになっていました。この後、指揮者ジョージ・セルおよびクリーヴランド管弦楽団との一連の録音を通じて、その名声はさらに確固たるものとなっていきます。
‣ 転機:右手の異変とその後の選択
· 突然の異変
順風満帆に見えたキャリアに影が差したのは、1960年代半ばのことでした。クリーヴランド管弦楽団とのロシア公演を控えていた時期、右手の薬指と小指が思うように動かなくなる症状が現れ始めたと伝えられています。ペンシルベニア州のピーボディ音楽院附属アーカイブによれば、この症状は1965年に始まったとされる一方、当時の取材記事のなかには1964年の出来事として語られているものもあり、実際にフライシャー自身が英デイリー・テレグラフ紙のインタビューで、1964年の夏に右手の指が勝手に丸まり始めたことに気づいたと振り返っている記録も残っています。いずれにせよ、右手が使えなくなるという出来事は、絶頂期にあった演奏家に大きな衝撃を与えました。
この症状が「局所性ジストニア」であると正式に診断されたのは、実に1991年になってからのことです。ジストニアと診断されるまで、フライシャーは麻酔薬の注射やリハビリ、心理療法、電気ショック療法、ロルフィングに至るまで、あらゆる治療法を試したと語っています。当時のニューヨーク・タイムズ紙のインタビューでは、1日7~8時間もピアノを弾き続けていた過去の練習量が原因だったのではないかとフライシャー自身は振り返っており、絶望のあまり自死すら考えたこともあったと明かしています。
· 教育者・指揮者としての新たな道
演奏で右手が使えなくなったことで、フライシャーは演奏活動そのものを諦めるのではなく、指揮・教育・左手レパートリーという三つの方向へ活動の重心を移していきました。
すでに1959年からピーボディ音楽院で教鞭を執っていたフライシャーは、この危機をきっかけに教育者としての比重を一段と高めていきます。同音楽院は1972年に彼をアンドリュー・W・メロン記念ピアノ講座教授に任命しました。また1967年には、ケネディ・センターを拠点とする室内楽団体シアター・チェンバー・プレイヤーズを共同創設し、指揮者としてもボルティモア交響楽団の副指揮者やアナポリス交響楽団の音楽監督などを歴任しています。タングルウッド音楽センターの芸術監督も長く務め、1984年から1997年までその任にあたりました。
‣ 左手レパートリーへの取り組み:シモン・バレルの録音との出会い
指揮・教育と並行して、フライシャーが本格的に取り組んだのが左手のためのレパートリーです。ラヴェルの「左手のためのピアノ協奏曲」をはじめ、プロコフィエフやブリテンの作品を演奏に取り入れ、さらには同時代の作曲家へ新作を委嘱することで、このジャンルの発展にも大きく貢献しました。
フライシャーが左手作品と出会う一つのきっかけとなったのが、フェリックス・ブルーメンフェルドの弟子であったシモン・バレルの録音だったと伝えられています(出典:An Anthology of Piano Music for the Left Hand Alone 編:Ruby Morgan)。この経緯については、【ピアノ】左手作品から読み解くブルーメンフェルド:ゴドフスキーに捧げられた1905年の左手練習曲 の記事で詳しく紹介しているので、あわせてご覧ください。
左手作品の歴史は、作曲家だけで作られたものではありません。演奏家の存在が、作品の誕生と普及の両方を支えてきました。20世紀にその一端を担ったのが、レオン・フライシャーやゲイリー・グラフマン(1928–2025)といったピアニストでした。こうした第一線の演奏家による普及が、左手音楽史においても大きな意味を持っています。その一翼を担ったことも、フライシャーの重要な功績と言えるでしょう。
‣ 治療とカムバック
長い模索の末、転機が訪れたのは1990年代半ばのことです。治療やリハビリテーションを重ねるうちに症状が緩和され、フライシャーは徐々に両手での演奏を再開していきました。
1995年には、タングルウッドでモーツァルトの協奏曲を演奏し、両手での本格的な復帰を果たしました。この演奏は、30年以上にわたる模索の末にたどり着いた、両手演奏への回帰の象徴的な出来事として記憶されています。そして2003年、両手演奏への本格的な復帰からさらに年月を重ねたのち、40年近くぶりとなる両手でのカーネギー・ホール公演を実現させました。その演奏は、技術的な復帰に留まらない出来事として、大きな注目を集めました。
この長い模索と再起の過程は、映画監督ナサニエル・カーンによるドキュメンタリー「Two Hands: The Leon Fleisher Story」としても映像化されました。同じ2007年、フライシャーはケネディ・センター名誉賞を受賞し、「芸術の持つ生命力を体現する、卓越した音楽家」という言葉とともに称えられています。フランス政府からも芸術文化勲章コマンドゥールを受章するなど、その功績は国境を越えて認められました。
2020年8月2日、ボルティモアにて92歳でその生涯を閉じましたが、ピーボディ音楽院の学部長フレッド・ブロンスタイン氏は、演奏家・教育者としての彼の魅力は、その人柄の温かさと知性、ユーモアと分かちがたく結びついていたと追悼の言葉を寄せています。
‣ フライシャーの左手音楽を知る3枚
フライシャーが遺した左手関連の録音を紹介します。
· Piano Concertos for the Left Hand / Works for Left Hand(2009年、SONY)
ラヴェル・プロコフィエフ・ブリテンという代表的な左手協奏曲(指揮:小澤征爾/ボストン交響楽団)と、タカーチュ、サン=サーンス、サクストン、J.S.バッハ(ブラームス編)、ブルーメンフェルド、スクリャービン、ゴドフスキーの独奏曲をまとめた2枚組で、左手作品をまとめて聴きたい人にとって、格好の入口となる録音です。この「左手のためのピアノ協奏曲集・ピアノ作品集」は、もともと1993年に個別のディスクとして発売されていました。
詳しい収録内容や演奏の印象については、【ピアノ】レオン・フライシャー「左手のためのピアノ協奏曲集・ピアノ作品集」レビュー:左手作品の名盤 で詳しくまとめています。
· Korngold & Schmidt: Music for Strings and Piano Left Hand(1998年、SONY)
ジェイミー・ラレード、ジョセフ・シルヴァースタイン、マイケル・トゥリー、ジョエル・スミルノフといった弦楽器奏者、そしてヨーヨー・マが名を連ねる室内楽アルバムで、コルンゴルトとフランツ・シュミットという、ともにパウル・ヴィトゲンシュタインゆかりの左手音楽を室内楽編成で聴くことができる一枚です。ウィリアムズ・カレッジのチェイピン・ホールにて、1991年と1993年に分けて録音されました。
左手ピアノというと独奏や協奏曲のイメージが強いですが、この録音は室内楽という切り口からその世界を広げてくれます。
· All the Things You Are(2014年、Bridge Records)
86歳を迎えた2014年に発表された、実に約10年ぶりとなるソロ・アルバム。バッハ=ブラームス「シャコンヌ」(新録音)をはじめ、収録曲の大半は左手のための作品で構成されており、ジョージ・パール、レオン・カーシュナー、ディナ・コストンといった作曲家がフライシャー自身のために書いた作品も含まれています。
なかでも注目したいのが、レオン・カーシュナーが1995年に書いた「L.H.」でしょう。エミリー・ディキンソンの詩の一節が楽譜に添えられた無調作品で、エドナ・セント・ヴィンセント・ミレイの詩からも着想を得た、激しさと豊かな彩りを併せ持つ音楽として紹介されています。また、ジョージ・パールの「Musical Offerings」は、フライシャーの70歳の誕生日を記念して書かれた作品です。
このほか、モンポウ「6つの前奏曲 より 第6番(左手のために)」、アール・ワイルドの作品なども収められており、全体的に近現代色が強く、フライシャーの左手演奏の集大成ともいうべき内容になっています。
‣ フライシャーに捧げられた作品群
フライシャーの存在は、同時代の作曲家たちに数多くの新作をもたらしました。ここでは、フライシャーゆかりの作品もあわせて紹介します。
ロバート・サクストンの「シャコニィ」(1988年)は、オールドバラ音楽祭からの委嘱によって書かれ、1988年6月20日にフライシャー自身の演奏で初演されました。パーセルやブリテンが用いた「シャコンヌ」の古語形をタイトルに冠しながら、全音音階を軸にした現代的な書法で仕上げられています。この録音は、先述の「左手のためのピアノ協奏曲集・ピアノ作品集」にも収められています。
ドイツの作曲家ハンス・ヴェルナー・ヘンツェも、1988年に「左手のためのピアノ曲(レオンのための小品)」を書き、フライシャーへ献呈しました。小節線を持たない3段譜という特異な記譜法や、厚みのあるクラスター和音が印象的な作品です。
またイスラエル出身のピアニスト・作曲家ロン・イェディディアは、1993年の「12の大練習曲 第1巻 第1番(右手のための)」をフライシャーに捧げました。長らく麻痺していた手の機能が奇跡的に回復し、栄光への復帰を果たすという物語を音楽で描いた、いわばユートピア的幻想として構想された作品で、右手のために書かれています。一見すると左手音楽とは逆方向の作品ですが、フライシャーの右手機能の回復を題材とした作品であるため、彼の身体と音楽との関係を考えるうえで興味深い存在です。フライシャー自身の歩みそのものが、後進の作曲家たちにとってのインスピレーションになっていたことがよく分かる一曲と言えるでしょう。
これらの作品からも、フライシャーが単に既存の左手作品を演奏する立場に留まらず、新しいレパートリーの創出そのものを後押しする存在でもあったことが見えてきます。
► 終わりに
シュナーベルの高弟として華々しいキャリアをスタートさせながら、右手の異変によって長い模索の時代を経験し、それでも左手のレパートリーと教育・指揮という新しい道を切り開いたレオン・フライシャー。
フライシャーの歩みが示しているのは、左手音楽が単に「片手しか使えないピアニストのための代替レパートリー」ではないということです。彼は左手のための既存作品を演奏するだけでなく、新しい作品を生み出す作曲家たちを刺激し、さらに教育者としてその音楽を次の世代へ伝えていきました。
その意味でフライシャーは、左手音楽を「障がいへの対応だけに留まらない、独立した音楽表現」として捉えるうえで、重要な存在の一人と言えるでしょう。
参考文献:
・「Piano Music for One Hand」(テオドール・エーデル 著)
・「One Handed」(ドナルド・L・パターソン 編)
・「An Anthology of Piano Music for the Left Hand Alone」(Ruby Morgan 編)
・ニューグローブ音楽大事典「Fleisher, Leon」の項
参考資料・ウェブ資料
・Britannica「Leon Fleisher」
・ArchiveGrid「Leon Fleisher papers」(Peabody Institute, Johns Hopkins University)
・CSO「Peabody Institute, where he taught for decades, salutes Leon Fleisher」
・Johns Hopkins Hub「Leon Fleisher Peabody memorial service」
・CBS News「Leon Fleisher, renowned pianist who taught at the Peabody Institute, dies at 92」
・The Daily Telegraph(Pressreader再録)
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