【ピアノ】片手作品から読み解くライオネル・ノヴァク:左手の自由を失った音楽家と右手のための音楽
► はじめに
ライオネル・ノヴァク(Lionel Nowak, 1911–1995)は、アメリカの作曲家・ピアニストです。長年ベニントン・カレッジで教鞭を執り、多くの歌曲や室内楽作品を残しました。
ノヴァクは1980年に脳卒中によって左手が自由に使えなくなってしまいました。その後、右手だけで演奏するためのピアノ作品を書いたり、他の作曲家へ委嘱もしたので、片手ピアノ音楽の資料に登場します。
本記事では、ノヴァクが作曲した右手作品と、彼のために書かれた右手作品を取り上げます。
► 片手音楽から読み解くライオネル・ノヴァク
‣ ノヴァクという人物
1911年、オハイオ州クリーブランドに生まれたノヴァクは、クリーブランド音楽院で作曲理論をロジャー・セッションズ、クインシー・ポーター、ハーバート・エルウェルに、ピアノをベリル・ルビンシュタインとエドウィン・フィッシャーに師事しました。1948年から1993年までベニントン・カレッジ(Bennington College)の音楽科に在籍し、45年にわたって教鞭を執りました。
1980年、ノヴァクは脳卒中により左手が自由に使えなくなります。それでもピアニスト・教師・作曲家としての活動を制約の中で続けました。この境遇を知った同僚・友人・家族など、多くの人々が、彼のために右手だけで演奏できる作品を書き送りました。その中には、ベニントン・カレッジの教員や出身者も含まれています。
1995年、ヴァーモント州ベニントンで亡くなりました。
‣ 作品を読む
· 和泉式部の日記より7つの歌(10〜11世紀)
– 基本情報
※著作権保護期間中につき、譜例は掲載不可
Seven Songs from The Diary of Izumi Shikibu(10th–11th century):Seven songs for medium voice and piano
作曲年:1982年2月25日
編成:中声とピアノのための室内楽
全7曲 / 全12ページ(作曲者手稿)
演奏時間:約11分
歌詞:ウィリス・バーンストーンによる英訳テキストを使用
献呈:妻ローラの57歳の誕生日を記念して作曲
ピアノパートは1段譜で書かれており、片手のみで演奏することができます。なお、本作は「左手のための作品」ではありません。作曲者手稿には「piano right hand」と記されており、右手のみで演奏するように指定されています。したがって、本作は「右手による片手パートを含む室内楽」として位置づけるのが適切です。
7曲には独立したタイトルはなく、各曲にテンポとメトロノーム指示のみが与えられています。
| 番号 | テンポ指示 |
|---|---|
| Ⅰ | Slowly and quietly(ゆっくりと静かに) |
| Ⅱ | With inward restlessness(内なる落ち着きのなさとともに) |
| Ⅲ | Freely, but not hurried(自由に、しかし急がずに) |
| Ⅳ | With questioning assurance(問いかけるような確信とともに) |
| Ⅴ | ♩=ca. 120 |
| Ⅵ | Disturbedly(乱れた様子で) |
| Ⅶ | Measured(抑制されて) |
一般的に音楽で東洋的な雰囲気を演出するためには、和楽器・邦楽器を用いたり、音階に工夫をする方法があります。
一方、この作品で重要なのは、そうした外面的な「日本らしさ」よりも、少ない音数で空間を作り出し、一つひとつの音の重要性を高めていることでしょう。また、和楽器を用いなくても、和楽器を思わせる音型を取り入れることで、間接的に日本的な印象を生み出している箇所もあります。例えば、第1曲のピアノパートからは、三味線を思わせるような音遣いが感じられます。
第1曲の曲頭には、「use only as much pedal as is necessary to keep the sustain of melody smooth(メロディの響きを滑らかに保つために必要な分だけペダルを使用すること)」と書かれており、響きを必要以上に残さない、比較的ドライな音響を求めていたと考えられるでしょう。これは、先ほど述べた「少ない音数によって空間を作る」という書法とも結びついています。
– 和泉式部の日記について
和泉式部(生没年不詳、10世紀末〜11世紀初頭)は平安時代の女流歌人です。その日記「和泉式部日記」は、亡き弟宮への哀悼に始まり、帥宮敦道親王との恋愛を中心に描いた作品として知られています。
多くの和歌を含むこの日記は、平安文学の中でも特に感情の繊細な表現において高く評価されています。
アメリカの作曲家がこの平安文学を題材に選んだことは、一見意外に思えるかもしれません。しかしノヴァクが「最小限の手段と明快な簡潔さ」によって東洋的な雰囲気を写し取ろうとしたという評価を見ると、この作品には、和泉式部の日記が持つ繊細な感情表現と、ノヴァクの簡潔な書法とが響き合っているように感じられます。片手だけで演奏できるピアノ・パートもまた、この作品の簡潔な書法を特徴づける要素の一つと言えるでしょう。
· 右手のためのプラクティス・ピース
※著作権保護期間中につき、譜例は掲載不可
Practice Piece for piano right hand
作曲年:1982年
編成:ピアノソロ(右手独奏)
演奏時間:約2分30秒
収録:One Hand at a Time: 19 Pieces for Piano for Left-Hand or Right-Hand Only
本作について、ノヴァクは「1980年春の脳卒中の直後、何人もの作曲家の友人たちが、お見舞いのしるしとして右手だけのための本格的な新作を送ってくれた。それをきっかけに、特定の指や腕の技術があまり見られないことに気づき、日々のウォームアップとして練習できる曲を自分のために書くことにした」と、その成立事情を語っています。
16分音符を主体とし、小節線を用いない、付点8分音符=120という風変わりなテンポ指示を持つエチュードです。単音を中心とした同音連打とオクターヴの跳躍を主な課題とし、変奏曲に近い構成を取っています。
1982年に作曲された本作は、後にノヴァクの作品集「Music for Solo Piano 1942–91」にも収録され、2024年刊行の片手作品集「One Hand at a Time」にも収められました。
· ノヴァクのために書かれた作品
ノヴァクのために書かれた右手作品は数多く確認されています。そのうちの数曲を見てみましょう。いずれも「左手のための作品」ではなく、「右手のための作品」である点に注意が必要です。
– オットー・ルーニング「ライト・ハンド・パス」
※著作権保護期間中につき、譜例は掲載不可
The Right Hand Path
作曲家:オットー・ルーニング(Otto Luening, 1900–1996)
作曲年:1984年
編成:ピアノ独奏(右手のみ)
演奏時間:約5分
献呈:ライオネル・ノヴァクのために作曲
ルーニング自身の解説によれば、本作は倍音列の断片を素材とし、音の間隔や強弱、時にはリズムによって様々な響きの度合いを生み出すように書かれています。
3段譜で書かれ、弦楽器を思わせる書法により進行します。技術的には難しくありませんが、3段譜で書かれていることもあり、多層的にどのように音響を重ねていくかが重要な作品なので、ペダリングのセンスが問われるでしょう。
– アリソン・ノヴァク「ビュー(右手のための)」
※著作権保護期間中につき、譜例は掲載不可
View for Piano Right Hand
作曲家:アリソン・ノヴァク(Alison Nowak, 1948- )
作曲年:1981年10月25日
編成:ピアノ独奏(右手のみ)
演奏時間:約6分40秒
献呈:ライオネル・ノヴァクのために作曲
作曲者はライオネル・ノヴァクの娘であり、本作は父の70歳の誕生日を祝って書かれました。
基となる12音技法の音列は、もともとハワード・ネメロフの詩「View from an Attic Window」への未完の作曲のために作られたものだといいます。
– L・オーガスタス・ノヴァク「主題と変奏」
※著作権保護期間中につき、譜例は掲載不可
Theme and Variations
作曲家:L・オーガスタス・ノヴァク(L. Augustus Nowak)
作曲年:1987年
編成:ピアノ独奏(右手のみ)
演奏時間:約7分
献呈:ライオネル・ノヴァクのために作曲
作曲者はライオネル・ノヴァクの息子で、本作は父のために書かれました。父の録音に添えた解説の中で作曲者は、当時の片手作品のレパートリーが技巧的・実験的な傾向に偏っていた印象を受けていたとし、それに対して調性や旋律の扱いにおいて伝統的な選択肢を提示することを意図したと述べています。
– ルイス・カラブロ「ファンタジー」
※著作権保護期間中につき、譜例は掲載不可
Solo Piano Fantasy(for the right hand)
作曲家:ルイス・カラブロ(Louis Calabro, 1926–1994)
作曲年:1984年
編成:ピアノ独奏(右手のみ)
演奏時間:約6分30秒
献呈:ライオネル・ノヴァクのために作曲
カラブロは、ノヴァクの録音に添えた解説の中で、本作を鍵盤全体の音域を用いる意図のもとに作曲したと述べています。1・3・5の指でアルベルティ・バスを弾きながら、2・4の指でその周囲にスタッカートの音を配置する箇所があったりと、書法に面白みがあります。
– ピーター・ゴルブ「6つの小品」
※著作権保護期間中につき、譜例は掲載不可
Six Pieces
作曲家:ピーター・ゴルブ(Peter Golub, 1952-)
作曲年:1980年頃
編成:ピアノ独奏(右手のみ)
演奏時間:全曲合計 約5分50秒
献呈:ライオネル・ノヴァクのために作曲
構成:Rhapsodically / Smoothly / Sprightly / Ringing / Majestically / Playful
ノヴァクの録音に添えた解説の中で、作曲者はこの作品集について、ピアノという楽器の音そのものを探求する試みであったとし、一つの手(それも巨匠の手)がまるで二つの手のように聴こえる、と述べています。
いずれも2ページ程度のコンパクトな小品としてまとめられました。
– エリザベス・ラウアー「デクストラヴァガンザ」
※著作権保護期間中につき、譜例は掲載不可
Dextravaganza(Elizabeth Lauer, b. 1932)
作曲家:エリザベス・ラウアー(Elizabeth Lauer, 1932-)
作曲年:1991年(改訂版1999年2月)
編成:ピアノ独奏(右手のみ)
演奏時間:約10〜20分
献呈:ライオネル・ノヴァクのために作曲
作曲者はノヴァクのもとで学んだ教え子であり、本作は師であるノヴァクのために書かれました。
作曲者自身の解説によれば、右手のための作品を書くという構想は何年も温められていたものの、なかなか実際の作品として結実しなかったといいます。音楽そのものを通して師への敬愛を表現しようとするのではなく、右手のみで演奏するという制約が持つ独自性——音域の選び方、音色、ペダリング、タッチ、ニュアンス、強弱といった鍵盤上の響きに関わる要素——に向き合うことを楽しんだ末に生まれた作品だと述べられています。
– ジェフリー・レヴィン「ソリロキー」
※著作権保護期間中につき、譜例は掲載不可
Soliloquy for Right Hand
作曲家:ジェフリー・レヴィン(Jeffrey Levine, 1942- )
作曲年:1982年
編成:ピアノ独奏(右手のみ)
演奏時間:約5分
献呈:ライオネル・ノヴァクのために作曲
作曲者は、本作についてある変奏曲集から抜き出された一曲であり、簡潔な動機をめぐる抒情的で自由な幻想曲と呼べるものだと述べています。ノヴァクという人物の存在と音楽家としての力量がこの作品の着想を生み、その演奏によって独立した独奏作品としての説得力を得たとも語っています。
► 終わりに
フライシャー、グラフマン、そしてノヴァク。20世紀後半には、片手のためのレパートリーを演奏するピアニストや、片手で演奏できる作品を書いた作曲家が複数現れ、この分野はより広がっていきました。
本記事で紹介した作品は右手のために書かれたものであり、いわゆる「左手作品」ではありません。それでも、片手だけでピアノを演奏するという発想が、左手作品だけに限られたものではないことを示す興味深い例です。
今回参照した資料の範囲では、ノヴァク自身が作曲した右手作品として確認できたのは、この2曲でした。一方で、彼のために書かれた右手作品は数多く、ノヴァクを中心として、20世紀後半の片手ピアノ音楽に一つの小さな作品群が形成されていたことが分かります。
そのうちの1曲が、平安文学という異文化の素材を選び、妻の誕生日を記念して書かれた、ごく私的な作品であったことは印象に残ります。大きな野心よりも、静かな必然から生まれた作品と言えるでしょう。
参考文献:
・「Piano Music for One Hand」(テオドール・エーデル 著)
・「One Handed」(ドナルド・L・パターソン 編)
・Baker’s Biographical Dictionary of Musicians
・The American Composers Alliance
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・【ピアノ】「Piano Music for One Hand」(テオドール・エーデル 著)レビュー
・【ピアノ】「One Handed」(ドナルド・L・パターソン 編)レビュー
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