【ピアノ】片手音楽に関わった女性たち:パターソン「One Handed」に見る女性作曲家・編曲家の存在感
► はじめに
クラシック音楽の歴史を振り返ると、作曲家として名を残した女性は、男性に比べて圧倒的に少なく扱われてきました。では、片手のためのピアノ音楽の世界ではどうだったのでしょうか。片手音楽には演奏会用の大作だけでなく、ピアノ教育の現場で使われる小品や練習曲も数多く含まれており、実はピアノ教師として活躍した女性たちの存在感が大きい分野でもあります。
本記事では、Donald L. Pattersonの「One Handed: A Guide to Piano Music for One Hand」に掲載された人物の中から、女性作曲家・編曲家を抜き出し、その傾向を見ていきます。
► 集計の考え方
Pattersonの資料には性別の記載そのものはありません。そこで今回は、掲載されている635名の名前(ファーストネームや敬称)をもとに、女性である可能性が高い人物を判定しました。「Mrs.」といった敬称、「Elizabeth」「Miriam」「Grace」のように女性名として広く使われている名前を手がかりに抽出したところ、該当する人物は93名で、掲載人物635名の約14.6%という結果になりました。
これはあくまで名前にもとづく推定であり、実際の性別を確認できたものではありません。イニシャルのみ記載されている人物や、性別を判別しにくい名前(Dori、Rennieなど)は今回の集計から除外しています。したがって、実際の女性作曲家の人数は、この93名よりもやや多い可能性があります。
また、本記事の後半では国別分布も見ていきますが、Pattersonの本文にある国名表記は、出身地・国籍・活動拠点のいずれを指すか項目ごとに書き方が統一されていません。そこで、本記事ではこの違いを判断し直すことはせず、印刷されている国名表記をそのまま採用し、複数の国名が記載されている人物についてはその国それぞれを1回ずつ集計するという単純なルールで処理しています。したがって、国別の数値は実人数ではなく「延べ件数」になります。
► パターソン「One Handed」に見る女性作曲家の存在感
‣ 全体に占める割合と国別分布
93名のうち、国名まで判明したのは79名でした(残る14名は国名の記載がありませんでした)。この79名について国名表記を延べ件数で集計すると、複数国にまたがる人物が3名いたため延べ82件となり(3名とも2か国の併記で、3か国以上にまたがる人物はいませんでした)、やはりアメリカが51件と突出しています。
【ピアノ】片手ピアノ音楽に関わった人物はどの国に多い?:パターソン「One Handed」の掲載人物を国別に集計 の記事で見たとおり、片手音楽全体でアメリカの比重が大きいことを踏まえれば自然な結果ですが、全体の国別分布とおおむね似た傾向を示しています。

※国名が判明した女性作曲家79名を対象に、複数国にまたがる人物は該当国それぞれで1回ずつ数えた延べ82件を基準に集計(その他5か国はフランス・アルゼンチン・ペルー・オランダ・スイス)。
‣ 生年で見ると:時代が進むほど存在感が増す
93名のうち生年が判明したのは59名でした。これを1899年以前生まれと1900年以降生まれで比べてみると、興味深い違いが見えてきます。
| 区分 | 全体の人数 | 女性と推定された人物 | 女性と推定された人物の割合 |
|---|---|---|---|
| 1899年以前生まれ | 301名 | 18名 | 約6.0% |
| 1900年以降生まれ | 195名 | 41名 | 約21.0% |
1899年以前生まれでは女性と推定された人物の割合は約6.0%でしたが、1900年以降生まれでは約21.0%まで上昇しており、比率で見ると約3.5倍です。
こうした増加の背景には、20世紀に入り女性が音楽教育を受ける機会が広がったことや、ピアノ教師として作曲・出版活動に関わる女性が増えたことなど、複数の要因が考えられます。今回の数字も、そうした歴史的な変化と無関係ではないでしょう。
‣ どのジャンルで存在感があったのか
女性と推定された93名が、Pattersonのどの章に多く登場するかを見てみると、もう一つの興味深い傾向が浮かび上がります。今回は独奏の2章(R・L)だけでなく、編曲、協奏曲、室内楽・声楽、アンサンブルまで、すべての章で確認しました。
| 章 | 女性の人数 | その章の全体人数 | 女性の割合 |
|---|---|---|---|
| 右手独奏(R) | 25名 | 98名 | 約25.5% |
| 左手独奏(L) | 77名 | 423名 | 約18.2% |
| 編曲(LA) | 1名 | 88名 | 約1.1% |
| 協奏曲(C:ピアノ+オーケストラ) | 0名 | 31名 | 0% |
| 室内楽・声楽等(CH) | 3名 | 25名 | 約12.0% |
| アンサンブル作品(CE:三手・五手など) | 5名 | 74名 | 約6.8% |
※複数の章にまたがって登場する人物は、それぞれの章で1回ずつ数えています。そのため各行の人数を合計しても、女性と推定された人物の総数93名とは一致しません。
右手独奏の章では、女性と推定された人物の割合が左手独奏の章よりもやや高くなっています。Pattersonの掲載内容を見る限り、右手独奏には比較的新しい時代の作品が多く、教育用の小品も比較的多いことから、20世紀後半に活躍した女性作曲家の存在が反映されているのかもしれません。
一方で、ジャンルによって女性と推定された人物の割合にはかなり大きな差があります。
既存の名曲を片手用に編曲する「編曲(LA章)」の分野には、今回の集計では女性はほとんど見当たらず、少なくともPattersonの掲載人物に限って見ると、男性の比重が非常に大きかったことが分かります。
さらにピアノとオーケストラのための協奏曲(C章)に至っては、31名の掲載人物の中に女性が1人もいませんでした。ヴィトゲンシュタインの委嘱によるラヴェルやリヒャルト・シュトラウス、コルンゴルトらの左手協奏曲に代表されるように、このジャンルには著名な男性作曲家による作品が多く含まれています。今回の集計で女性と推定された人物が0名だったことは、少なくともPattersonの掲載内容において、協奏曲というジャンルの男性作曲家への偏りが非常に大きいことを示しています。
室内楽・声楽(CH章)やアンサンブル作品(CE章)にはわずかながら女性の名前が確認できるものの、割合は独奏の章より低く留まっています。片手音楽の中でも、独奏や室内楽のような比較的小規模なジャンルほど女性と推定される人物の存在感が大きく、編曲や協奏曲のような大規模・専門的なジャンルほど少なくなる、というジャンルによる偏りが、この集計からは見えてきます。
‣ いくつかの人物紹介
上位の傾向だけでなく、個々の人物にも見ていきましょう。
Cathy Berberian(1925-1983)は、本来は前衛的な声楽表現で知られるアメリカの歌手ですが、ピアノまたはチェンバロのための右手作品も作曲していたことが分かります。Vivian Fine(1913-2000)は20世紀アメリカを代表する女性作曲家の一人として知られる存在です。Miriam Hyde(1913-2005)とDulcie Sybil Holland(1913-2000)は、ともにオーストラリアで教育用の片手作品を残した人物で、以前の【ピアノ】片手ピアノ音楽に関わった人物はどの国に多い?:パターソン「One Handed」の掲載人物を国別に集計 で触れたオーストラリアの厚みにも貢献しています。
少し変わった例として、Adams, Mrs. Crosby(1858-1951)という表記も見つかりました。この表記からも、当時、既婚女性の作曲家名が夫との関係を示す形で記載されるケースがあったことがうかがえます。
► 注意点
今回の集計は名前から性別を推定したものであり、厳密な統計ではありません。判別が難しい名前は除外しているため、実際の女性作曲家の数は今回の93名より多い可能性があります。また、あくまでPattersonという一つの資料に掲載された人物を対象にした傾向であり、片手音楽全体における女性作曲家の実態を正確に示すものではない点にもご留意ください。
► 終わりに
片手音楽の世界においても、女性作曲家の存在感は歴史を通じて着実に大きくなってきたことが見えてきました。1899年以前はごく少数に留まっていた女性と推定された人物の割合が、20世紀に入るとおよそ3.5倍に増加し、特に教育用の右手独奏の分野では四分の一近くを占めるまでになっていました。一方で、今回のPattersonの掲載人物では、編曲の分野にはほとんど女性の名前が見当たらず、ピアノとオーケストラのための協奏曲に至っては1人も確認できなかったなど、ジャンルによる偏りもはっきりと残されています。独奏や室内楽のような比較的小規模な形態では存在感を示しながら、編曲や協奏曲といった大規模・専門的な形態では名前が見当たらなくなるという構図は、当時の女性作曲家が置かれていた状況を考えるうえで、興味深い手がかりになるのかもしれません。
片手音楽の歴史を、作曲家の性別という切り口からもう一度眺めてみることで、これまでの記事だけでは見えてこなかった一面が浮かび上がってきたのではないでしょうか。
なお、国別・年代別・国境を超えた移動という他の切り口も含めた記事全体の見取り図は、【ピアノ】パターソン「One Handed」に見る、片手ピアノ音楽をめぐる多角的な視点 まとめガイド をご覧ください。
参考文献:
・「Piano Music for One Hand」(テオドール・エーデル 著)
・「One Handed」(ドナルド・L・パターソン 編)
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・【ピアノ】「Piano Music for One Hand」(テオドール・エーデル 著)レビュー
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