【ピアノ】片手ピアノ音楽を担ったのはどの時代の人物?:パターソン「One Handed」掲載人物の生年を集計
► はじめに
片手音楽の歴史は18世紀にまでさかのぼり、20世紀後半に至るまで、さまざまな作曲家や編曲家によって作品が生み出されてきました。片手音楽の担い手たちは、いったいどの時代に集中して生まれているのでしょうか。そして、その年代の傾向は、「国別分布」とどのように結びついているのでしょうか。
本記事では、片手ピアノ音楽を幅広く収録したDonald L. Pattersonの「One Handed: A Guide to Piano Music for One Hand」に掲載された人物の生年を集計し、年代別の分布を国別分布と重ねながら見ていきます。
► パターソン「One Handed」とは
Donald L. Patterson による「One Handed:A Guide to Piano Music for One Hand」は、1999年に刊行された片手で演奏するピアノ音楽を幅広く扱った資料です。右手独奏、左手独奏、右手のための編曲、左手のための編曲、協奏曲や室内楽などのコンサート作品、さらにアンソロジーを編纂・出版した人物まで、片手音楽をめぐるさまざまな活動が記録されています。今回はこの分類を尊重しながら、掲載人物の国別分布を集計しました。
► 集計の考え方
集計の単位は「人物」です。Pattersonの各章に登場する人物を名寄せし、書籍全体で重複しないよう1人1回だけ数えました。その上で、生年が「1893-1974」のように明記されている人物についてのみ、生年を集計対象としています。
名寄せの結果、Pattersonに掲載されていた人物は635名でしたが、このうち生年が判明したのは496名でした。残る139名は「生没年記載なし」として、本文中にそのまま記載されていた人物です。したがって、以下の集計はこの496名を母数とした年代分布という前提でご覧ください。
一部、生没年が「1940年代に活躍」のように活動期のみで示されている人物については、活動期のおよそ20年前を生年の目安として扱いました。厳密な生年ではない点にご留意ください。
なお、本記事の後半では生年の分布を国別に重ねて見ていきますが、この国の集計方法についてもあらかじめ明確にしておきます。Pattersonの本文には、人物ごとに「Germany」「Great Britain/USA」「USA born Germany」のように国名が記載されていますが、これが出身地・国籍・活動拠点のいずれを指しているかは、項目によって書き方が統一されていません。本記事では、この違いを本文の記載から判断し直すことはせず、印刷されている国名表記をそのまま採用し、複数の国名が記載されている人物についてはその国それぞれを1回ずつ集計するという単純なルールで処理しています。したがって、国別に分けた数値は、複数国にまたがる人物の分だけ実人数より件数が多くなる「延べ件数」になります。
国名表記が出身地・国籍・活動拠点のどれを意味するかを区別していないため、以下の年代×国の集計は厳密な出身国統計ではなく、Pattersonの記載をそのまま国名ベースで数え上げたものである点にご留意ください。
► パターソン「One Handed」に見る掲載人物の年代別分布
‣ 年代別の分布:どの世代に片手音楽の担い手が多いのか
まずは10年刻みで生年を集計したグラフです。数値が大きいほど、その年代に生まれた人物がPattersonに多く登場していることを示しています。

※生年が判明した496名を対象に集計。バーの幅は最多である1890年代(42名)を100とした相対値です。〜1799年はそれ以前の全時代をまとめた数値です。
もっとも多くの人物が生まれているのは1890年代で、42名を数えます。僅差で1910年代と1920年代が41名ずつと続き、1930年代も37名とほぼ並んでおり、1890年代から1930年代にかけては、Pattersonに掲載された人物が特に多く、この資料の中では片手音楽を担った人物の層が厚い時代だったことがうかがえます。
‣ なぜ、この世代に集中しているのか
この年代の人物が多い背景として考えられる要因の一つが、20世紀前半における左手ピアノ音楽への関心の高まりです。第一次世界大戦での負傷がきっかけで右腕を失ったヴィトゲンシュタインが、1920年代以降ラヴェル、リヒャルト・シュトラウス、コルンゴルト、プロコフィエフ、ブリテンなどといった同時代の作曲家に左手のための作品を次々と委嘱したことはよく知られています。この時期に左手作品を生み出していたのは、19世紀後半から20世紀初頭に生まれた作曲家たちでした。彼らの活動時期と、Pattersonに掲載された人物の生年分布には一定の重なりが見られます。
また、20世紀前半生まれの世代が多いことは、アメリカでの音楽教育出版が拡大した時期とも重なります。この時代には、演奏会用作品だけでなく、教育用の小品や練習曲など、より幅広い片手ピアノ作品がPattersonに収録されています。
‣ 年代×国:時代とともに国の顔ぶれはどう変わったか
年代ごとに、どの国の人物が中心だったのかも合わせて見てみましょう。
生年を50年区切りの5つの時代に分け、それぞれの時代で人数の多い国を並べています。ここで一点、集計ルールを明確にしておきます。「人数」の列は各時代の実人数(重複なしの headcount)ですが、「上位の国」の列は、複数国にまたがる人物をその国それぞれで1回ずつ数えた延べ件数です。したがって、国別の内訳をすべて足しても、隣の「人数」列とは一致しません(例えば、1900〜1949年は、179名に対し延べ195件となっており、複数国が併記された人物によって16件分の重複が生じています)。
| 時代 | 人数 | 上位の国(延べ件数) |
|---|---|---|
| 18世紀以前(1799年以前) | 41名 | ドイツ 16/オーストリア 9/アメリカ 7 |
| 1800〜1849 | 89名 | ドイツ 38/フランス 14/イタリア 7・オーストリア 7 |
| 1850〜1899 | 171名 | アメリカ 50/ドイツ 28/イギリス 26/ロシア 15 |
| 1900〜1949 | 179名 | アメリカ 85/イギリス 16/オランダ 13・ドイツ 13 |
| 1950年以降 | 16名 | アメリカ 10/オランダ 2 |
※「上位の国」は各時代内で複数国にまたがる人物を該当国それぞれで1回ずつ数えた延べ件数のため、列内の合計は「人数」列とは一致しません。
この表を見ると、時代とともに、Pattersonに掲載された人物の国名表記の構成が変化していることが分かります。18世紀から19世紀前半にかけては、ドイツ語圏の人物が多く、当時のヨーロッパの鍵盤音楽文化との結びつきをうかがわせます。1850年以降の区分では、アメリカがいずれも最多となっており、特に1900〜1949年では、アメリカの延べ件数が85件に達しているのは注目に値するでしょう。
19世紀半ばから後半は、アメリカでピアノ教育や楽譜出版の産業が急速に育っていった時期と重なります。さらに1900年以降になると、国別延べ件数に占めるアメリカの割合も高まり、この時代の国別延べ件数195件のうち85件、およそ半数近くをアメリカが占めるまでになりました。この背景には、両世界大戦を通じてヨーロッパからアメリカへ多くの音楽家が移住した歴史も、一つの要因として考えられます。実際、「Germany/USA」「Russia/USA」のように、アメリカと他の国が併記されている人物がこの時代には特に多く、複数国にまたがってカウントされる例が集計を押し上げています(どちらが出身でどちらが活動拠点かまでは、今回の集計では区別していません)。
‣ 世紀でまとめると
より大きな区切りで見ると、次のようになります。
| 区分 | 人数 | 全体に占める割合 |
|---|---|---|
| 18世紀以前(1799年以前)生まれ | 41名 | 約8% |
| 19世紀生まれ(1800〜1899) | 260名 | 約52% |
| 20世紀前半生まれ(1900〜1949) | 179名 | 約36% |
| 1950年以降生まれ | 16名 | 約3% |
※割合は四捨五入しているため、合計が100%にならない場合があります。
生年が判明した人物のうち、半数以上が19世紀生まれという結果になりました。片手音楽は決して「ヴィトゲンシュタイン以降に始まった現代的なジャンル」ではなく、ロマン派の時代からすでに厚みのあるレパートリーとして育まれていたことが、この数字からもうかがえます。一方で、1950年以降生まれの人物はわずか16名にとどまっており、これは片手音楽そのものが下火になったことを示すとは限らず、Patterson刊行時期の制約が大きく影響している可能性があります。
► 注意点:この分布はあくまで「Patterson掲載時点」のもの
今回の集計にはいくつか留保すべき点があります。まず、Pattersonの「One Handed:A Guide to Piano Music for One Hand」は1999年に刊行された資料であるため、それ以降に生まれた作曲家や、刊行時点でまだ十分に知られていなかった若い世代は、原理的にほとんど反映されていません。1950年以降生まれの人数が少ないことは、片手音楽の衰退を直接意味するものではなく、資料の時代的な限界を示している可能性が高いと言えます。
また、生没年が「記載なし」とされていた139名は、今回の年代別集計には含めていません。特に編曲家や教育用の小品を手がけた人物にこの傾向が多く見られたため、実際にはもう少し裾野が広い可能性があります。加えて、活動期のみが記載されていた数名については、便宜的に生年を推定した値を用いている点もあわせてご了承ください。
本記事の年代分布は、「世界の片手作品の年代別統計」ではなく、あくまで一冊の資料に掲載された人物を対象にした傾向として読んでいただくのが適切です。
► 終わりに
Pattersonの掲載人物を生年で並べ直してみると、片手音楽の担い手は1890年代から1930年代生まれに厚く分布しており、その分布は、第一次世界大戦後にヴィトゲンシュタインの委嘱によって左手作品が盛んに生み出された時代や、アメリカにおける音楽教育・出版の発展した時期と重なっていることが見えてきました。国別分布と年代別分布を重ねることで、「なぜアメリカが多いのか」「なぜこの時代に厚みがあるのか」という問いに、単なる数字以上のつながりが見えてきたのではないかと思います。片手音楽の歴史は、一人の偉大な演奏家の物語であると同時に、時代と地域が織りなす、もう少し大きな物語でもあるようです。
参考文献:
・「Piano Music for One Hand」(テオドール・エーデル 著)
・「One Handed」(ドナルド・L・パターソン 編)
・Library of Congressの記事「Sheet Music of the Week: 19th Century Advertisement Edition」
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